Jeffrey

火葬人のJeffreyのレビュー・感想・評価

火葬人(1968年製作の映画)
4.0
「火葬人」

〜最初に一言、怪談喜劇の傑作。グロテスクと愉快な不条理の中を観客は彷徨う。後にコレは"ドッペルゲンガー"と知る。広角レンズを駆使したホラーの中のホラー。チェコ映画の重要な一本として私は薦める〜

冒頭、ナチスドイツの足音が響き始めた1930年代のプラハ。火葬場に長年勤める男、チベット仏教、ヴァーツラフ広場、時刻表、娘の誕生日、 民族浄化、絶滅収容所。今、使命、運命、仕事が鏡の自分に反映する…本作は1969年のユライ・ヘルツ監督が、ラディスラフ・フックス(クレジットに監督と原作者名があるので、脚本は共同執筆っぽい?)による原作を映画化したチェコ作品で、この度クライテリオンからBDが発売されたため、YouTubeでお粗末な画質で観た以来ぶりに鑑賞したがやはり傑作だ。この監督はシュヴァンクマイエルの盟友でもあり、多くのホラー映画を手がけてきた人物で、私自身この監督の「モルギアナ」や「ナインズ・ハーフ」など好きな映画が多くある。

そして、この"火葬人"は如何なるグロテスクなホラーを観てきた人でさえ、これは別格の"風変わりな"1本として、人間の心の内部に潜む闇のまた底…言わば常闇を奇妙・奇怪・醜怪・不調和・不気味・奇抜の六拍子揃えたチェコ・ヌーヴェル・ヴァーグの代表的傑作である。私はまだ映画の知識が乏しい今から8年前に、この"火葬人"の書籍を目にし、この表紙のルドルフ・フルシーンスキーのギョロリとした冷たい眼差しを観て、こんな物語があるのかと想像力を掻き立てられたものだった。

勿論、こんな傑作が国内でメディア化なんぞされておらず、見る術は……頼みの綱はYouTubeただ一つのツールだった。私は常日頃、YouTubeは"映画の宝庫だ"と言ってきた。それはありとあらゆる名作、珍作が落ちているからである。この作品と‪ヤン・ネ‬メッツの「夜のダイヤモンド」‪フランチシェク・ヴラーチル作「マルケータ・ラザロヴァー」‬ヴェラ・ヒティロヴァ「楽園の果実」に出会ったのである。勿論、日本語字幕も無ければ、英語字幕でさえ無かった(今は英語字幕版も落ちているかも?)コレらを鑑賞した。

チェコ語なんて分からない私は必死に公開当時のパンフレットを探し回った。奇跡的にあったのがATGシリーズで、配給された「夜のダイヤモンド」だけだった。そして2018年にヘルツの「火葬人」が日本上映された際に発売されたパンフレットを購入して、再度鑑賞した。残りの2作品は国内未公開で、パンフレットも無く、チェコ語を翻訳してなんとかストーリーやシナリオを海外サイトから見つけ出し理解し、それぞれ鑑賞した。こう言った涙ぐましい事をしていた頃の記憶が少し蘇った今日この頃である。

そもそもチェコの歴史をたどるとチェコ共和国が建国されたのは1918年で、93年にチェコとスロバキアに分断された歴史がある。後の89年後半にヨーロッパ東西の境界線が崩壊し、政治的な意味で東欧と称されたチェコスロバキアが自由を得て、半分は共産国に属してしまった為に日本との関係が微妙な形になり、国内でチェコ作品が配給された数が少ないと言う理由があるそうだ。日本で配給が許された作品で、 俺の中で思い出深いのはヴォイチェヒ・ヤスニーの「猫に裁かれる人たち」である。

これは確か奇跡的にDVDが発売されていたと思う。その他にチェコの新しい波として魁となった作品はやはりフランチシェク・ヴラーチルの「白い鳩」だろう。これは残念ながら国内ではメディア化されておらず、YouTubeでしか今のところ鑑賞ができない。もちろん輸入盤のDVDなどを買えば別だが…。あっ、そー言えば「春の調べ」も奇跡的にDVD化されていたなぁ。残念なのはヤスニーのデビュー作である「9月の夜ごと」が日本ではメディア化されていないことだ。これもかなり衝撃的な映画だった。

ちなみに豆知識だが、チェコヌーベルバーグは一般的に日本語でそう言われるが、チェコ語ではノヴァー・ヴルナと言い、これで新しい波と言う意味になるそうだ。

さて、本作が撮影されたのは民主化の動きが高まった"プラハの春"の最中であり、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻したことによって、撮影が中断されたり、上映されたが、すぐに禁止になってしまい1990年に再び国内で公開されて以来20世紀後半のチェコ映画を代表する一作として多くの映画ファンを魅了しているのがこの作品である。では、一体どのような物語なのか…少しばかりあらすじを説明する。

物語は1930年代のプラハ。火葬場に長年勤めるカレル・コップフルキングルは家族を大切にする男であり、チベット仏教にも関心を寄せている。言わば模範的な男だったが、かつての戦友ラインケに感化され、徐々に悪の道へと…彼はプラハの火葬場で働き、家族思いで仕事熱心な男。だが、次第に残忍なファシスト思想に操られ、それまで仕えてきた国家を裏切り、大量殺人を犯すという絶対悪の恐怖の罪へと手を染めてる。

本作は冒頭に、檻の中にいる動物たち(ライオン、孔雀)その他にも犀や蛇あらゆる動物が写し出される。そして主人公の男の独白がなされるファースト・ショットで始まる。彼は自分の家族を紹介する。娘14歳、息子16歳。家族は鏡に向かって笑顔を送り出す。ここでタイトルロゴが出現する。アバンギャルドな演出でオープニングが始まる。カットは変わり、ピアノ弾く手、バイオリンのクローズアップ、ドラムの音、ここはどうやら晩餐会、パーティーの瞬間を捉えているようだ。ご婦人方が歩き、ゲストが食事を大いに楽しんでいる。そこにこの映画の主人公の男カレル・コップフルキングルの姿がある。

やがて彼は自らの考えで家族を1人ずつ殺していく。それはナチズムによる台頭が動かした彼のもう一つの分身であった…とこんな感じで、家族それぞれの表情をとらえるアップの描写がなんとも不気味である。例えばにっこりと笑う母親も不気味だし、眼鏡をかけたインテリ風な息子も怖い。それにカット割の多さが波の如く次から次えと入れ替わり混乱する。そして圧倒的な棺の描写、主人公のモノローグが淡々と写し出されるシーンと囁く声が織りなす悪趣味な言動…見世物小屋での出来事も強烈だ。

不意の静止画が入る演出が多く見受けられた。それと昆虫の(ハエなど)剥製の場面、〇〇の首吊り、解けた靴ひもをご丁寧に直す行動、ミストにかかった部屋のショット、常にカメラ目線で独白をし、不意にカメラが頭上に周り真上から映し出す演出、教会での演説、ヒトラーへの忠誠、白い花に囲まれた棺桶が地下にゆっくりと降りる描写、息子への〇〇、上を再度日間訳した黒髪ロングの女の描写、棺のボルトをペンチで回す描写、

あのクライマックス近くの娘を鉄の棒で殺そうとする場面での手持ちカメラの荒々しい雑な撮影は画期的で、非常に怖い。そしてまさかのドッペルゲンガー現象と言うとんでもない帰結をする、まさに何が何だかと言う映画だ。最後の最後まで男はカメラ目線に語り続けるのだ…。 さてこの映画は、1930年代のヨーロッパの政治的過激化、具体的には最初のチェコスロバキア共和国の黄金時代の終焉と1939年のナチスドイツ下のボヘミアとモラビアの保護領の設置を背景にした作風で、主人公の男のラストに放つ一言が意味深である。それはネタバレになるため言わないが、魂を解放していることを信じているその男が死者を火葬するだけではなく、亡くなった人々の魂も解放すると言う考えに最終的にたどり着き、混乱した信念が徐々にユダヤ人の遺産のために妻と息子を殺めてしまうのである。

そんでその過程で彼は自分の理想的な自己についての統合失調症であると言うビジョンを映し出す。この流れでナチス関係者(多分指導者たち)に最終的に引き取られ、彼はその車に乗って行く。そういったクライマックスで終わるこの作品の余韻はたまらないものがある。ただのプラハの火葬場で働いてる男がここまで独りよがりで直上がるとはなんとも恐ろしい人物像だ。



いや〜、やはり"トンデモ映画"認定だろう。35mmオリジナルネガからの4Kデジタルレストア版はYouTubeの画質と比べたら天と地の差である。まず、このカット割の多さと顔のクローズアップのインパクト(俳優の容姿が)、ショットと連動する異なる演出は一般的な手法を捨てた正に独特の恐怖ビジュアルを確立した作品である。この映画困ったことに主役の男のセリフ量が半端なくて大変である。因みに本作のダヴォジャーク役はイジー・メンツェルである。彼はチェコのオスカー監督であるが、役者として本作に出ている。

この映画を悍しいことに、こんなにも善良な人間が息を吐く運動の如く悪の道へと簡単に染まってしまえるものなのか驚いてしまう。昨日とはまるで異なる性質に変化したかのような、まるで別の宇宙を見てるかのような…この恐ろしい人間性がこの映画では戦前から戦後へとなっても何一つ変わらずに、脈々と受け継がれているような…そんな感じがした。人の中には破壊欲動があると今は亡きイギリスの首相だったチャーチルが第二次世界大戦後によく言ったものだ。

平和を愛した男、家族を愛した男。そんな善良な市民である男が、何一つ苦しみを味わずに加担していく模様がなんとも恐ろしい。例えば他のナチズムの映画を見ると、拷問を受けてやむを得なく悪の道へと行く者、共産主義に洗脳されて悪の道へと自動的に行ってしまう事柄が基本だと思うのだが、この主人公であるコップフルキングル氏は、自分の頭で考えて行動しているのだ。これがポイントで、この映画の最も恐ろしい感情部分である。イデオロギーとかそんなもので解決できるような物事では最早無い。

いわば彼にとってホロコーストと言う場所は、絶対的安心ができて、憩いの場であり、苦しみからの解放、社会の秩序と社会への貢献をシンボリックに映す場所へと変わってしまったのだ。言わば彼にとっての獅子の懐(絶対的安心の場)と言える。そうすると、この映画を見終わって誰しもが感じる事は、実際にナチズムに加担した一般市民と言うのが多くいる。それは事実で、このような模範的な市民の感情もこの主人公のようにあっけなく移り変わる心を持っていたのかと感慨深く考えてしまう。

常識とは、平常心とは、人の心境なんて誰にも分からない。人生など一寸先は闇。この様な事柄はユダヤ人問題の最終解決へと繋がったのかと…そうは思いたくないが、映画から解き放たれる得体の知れないパワーは凄まじいものがある。チェコ映画をなめていたら痛い目にあうとはこのことだ。見るなら覚悟を決めてから見て欲しい。

最後に余談だが、この映画は第42回アカデミー賞の最優秀外国語映画のチェコスロバキア作品に選ばれたらしいが、残念ながらノミネートは外したそうで、1972年にはシネドシッチェス映画祭の最優秀映画賞を受賞したらしい。
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