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天空の城ラピュタの教授のレビュー・感想・評価

天空の城ラピュタ(1986年製作の映画)
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本作はいわゆる「ジュブナイル作品」というものなのかは、よくわからないが、実は大人びた恋愛映画の側面が強い冒険活劇という印象。

当時の日本で「インディ・ジョーンズ」を撮るとどうなるか?という試みにも見える。
当然ながら、当時も現在でも日本では実写としては製作不可能なスケールであり、だからこそのアニメーションだから可能な世界だとは思う。

冒頭は特に、映画的、活劇的なシーン(作画)、ディティールの応酬で圧倒される。
ヨーロッパ観光映画的な画面の優雅さと、宮崎駿的な「労働者階級の矜持」も充分に反映されていて、映像や絵ではなかなか感じにくい「筆力=熱量」が存分に発揮されている。

飛行石の力で、天から降りてくるシータを抱き止めるパズーの「ボーイ・ミーツ・ガール」要素。
抱き止めた後、飛行石の効果が消えた後の「体重=重力」を感じさせる演出とセットで見事なシーン。

またシータとドーラの鏡像として、ある意味ではミソジニックに機能する女性の描写。
女性は男性にとって「聖と性」の両極でしかないとも見える描写には議論と生まれるだろうが、一方でフェミニズム視点をあまりに前提とし過ぎる映画の見方にも、何を描いているかは見誤りやすい危険性もあると思う。
少なくとも、メインプロットに干渉しない形で、女性を巡る「因果」を感じさせるキャラクター造形は魅力的に感じる。

また終盤のムスカとの戦いは、ムスカとパズーの鏡像関係でもあり、ひとりの「聖」的な美女を巡っての大人と子供の「男の物語」に集約される。
そして、明らかに宮崎駿が自己投影しているのが、パズーではなくムスカである拗らせ方が「作家の物語」であり「作家の映画である奥行」を持っている。

映画全体を見渡しても空から始まり、地下まで潜り、やがてまた空に回帰して、全てを破壊するという「移動」は映画の物語における世界観を上手く表現していて、物語に強度が高い。
ただ、他の宮崎駿作品にも言えるが、どうしてもクライマックスが唐突で、ラストシーンの大団円などが、とりあえずまとめました、という味気なさとウェルメイドさは、ちょっとボンヤリしてしまう。
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