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20センチュリー・ウーマンの小のレビュー・感想・評価

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)
3.7
ひと昔前のアメリカをキレイでオシャレな映像と音楽で楽しみながら、女性の中で思春期の一時期を過ごした少年の物語を味わうみたいな映画なのかな。

アメリカに特に思い入れがなく、美しい映像や音楽が記憶に引っかかりにくい自分は、もっぱらジェイミーを自分と重ねて観ていた。

1979年の米サンタバーバラが舞台。シングルマザーのドロシアは15歳の少年ジェイミーの教育に手を焼いていた。困った彼女は、ルームシェアで暮らす写真家アビーと、近所に暮らすジェイミーの幼なじみのジュリーに、ジェイミーを導いて欲しいとお願いする。

知り合いとはいえ他人に子育ての助けを求めるドロシアは、ジェイミーの教育を放棄したいのか、と思ったりしたけれど、彼女たちの力を借りるほうがジェイミーのためになると本気で考えているようだ。

この点が自分にとってイマイチ、リアリティを感じにくい部分なのだけれど、まあそれを脇に置いて考えを進めると、周りの女性にとやかく言われながら成長していく男子ってどうよ?ということに…、実のところあまり興味はない。なぜならば自分がそうだったから。

自分の場合、アビーくらいな感じの姉がいて、あと叔母、祖母に囲まれていたかな。父親は不在がちで母親も仕事で忙しく、両親に子育てされたという記憶がほとんどない。姉は親から私を教育してくれとは頼まれていなかっただろうけど、私は主に姉からいろいろ吸収した気がする。

おかげで姉とは下品な会話を普通にしていたし、彼女の考え方や主義、主張に随分と影響を受けていた気がする。だからこの映画のジェイミーは、自分のことのように感じた。もっとも、イイ男になるための方法とか、恋愛の育み方みたいなことは全く吸収できなかったけれど…。

結局のところ、親が放っておいても、子どもは教えてくれる相手を適当に見つけて成長していく。孤独でさえなければ、親が冷たいとか、自分が可哀想だとか、全く思わない。少なくとも自分はそうだった。

だから、話はもどるけれど、ドロシアはジェイミーのことが理解できなくても放っておけばよかったのに…。まあ、アレコレしないと映画にならないから、アビーとジュリーにジェイミーが「男になる」手助けをお願いするだけならまだしも、2人が承知してくれたことをジェイミーに伝えてしまう。

ああ、子の心、親知らず。「なにそれ、お母さんは俺のこと見放したいの?」と思うに決まってるじゃん。子どもの方は母に何の問題も感じていないのだから。

それでも子どもが決定的に悪の道に走らないのは、母が子どもを愛し、子どもは、やっぱり母を愛しているから。だからラスト間近の親子のやり取りは、納得しかないんだよね。

で、結局「俺、2人からいろいろ学んで、ちゃんと成長したよ、お母さん。すれ違ったこともあったけど、お母さん、ありがとう。アビーも、ジュリーもありがとう」という感じの映画だったかな、自分にとってはだけど。

●物語(50%×3.5):1.75
・何を軸に観たら良いのかつかみにくいけれど、自分の物語のように観れたかな。

●演技、演出(30%×4.0):1.20
・近所のちょっと年上の美人お姉さんが泊まりにくるって、ちっとドキドキ。当時のアメリカの雰囲気が良く出ていてたと思われ…。

●映像、音、音楽(20%×3.5):0.70
・良いとは感じるけれど、もっと良いらしい。
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