純

20センチュリー・ウーマンの純のレビュー・感想・評価

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)
4.7
政治も産業も何もかも高速で駆け抜けた20世紀。手に届く日常だけが守られたようにゆったりと過ぎていき、人々は不完全な自分と不恰好に向かい合って生きてきた。淡い光が切なくて眩しいひと夏がノスタルジックに描かれる、少し寂しいからこそやさしさが染みる作品。

今作は、20世紀という時代を生きた、様々な年代の女性たちが鮮やかに光を放つヒューマンドラマ。大恐慌時代に生まれたシングルマザーと青春真っ只中を生きる15歳の息子、同居するアビーとウィリアム、幼馴染のジュリーたちの、我が儘で身勝手で未完成な、愛おしい日々の結晶が光る。

脚本もカメラのアングルも色彩の豊かさも、本当にお洒落で美しかった。センスの良さが最初から最後まで光っている。そしてだからこそ、登場人物たちひとりひとりに欠けたピースが嫌味なく、あの独特なふわっとした感覚で浮き上がるんだろうな。皆それぞれ過去や内面に悩みや問題を抱えていて大変だけど、それゆえに人間らしくて、なんだか、彼らが本当に眩しくて素敵だ。歳をとるって怖くないことなんだ、と思う。20世紀を生きた彼女たちはなんて美しんだろうって、20世紀が終わってしまっても私達なら大丈夫なんだって、そう思える一瞬がたくさん散りばめられていた。

ジェイミーは思春期に入って大人の世界に興味を持つけど、母親のドロシーとしては刺激の強さが不安で息子を束縛する。彼女は夫と離婚していて、孤独な人生を悲観しながらもそれを表に出すことを怖がっていた。ジェイミーが想いを馳せるジュリーはと言えば、多くの男友達と身体の関係があるくせに、1番親密なジェイミーとはそれだけの関係になりたくないからと言って絶対に一線を超えない。母親とは関係をこじらせたままだ。パンクやロックの影響を強く受ける個性派のアビーは、癌の診断や子どもを産めない身体になる不安に怯えながら踊りで気を紛らわす。ダンディなウィリアムは、生まれにコンプレックスがある中で失恋した過去に囚われてか、なかなか本気の恋愛に発展させない臆病な面を持っていた。皆が皆面倒くさいのに、ものすごく安心する。それは、「大人になること」「生きること」は右肩上がりでうまくいくんじゃなくて、成功も失敗も寄り道も遠回りもしながら、限られた時間をたくさん無駄に過ごしていくことなんだって教えてくれるから。約束を破るのも、秘密を隠しながら付き合いを続けるのも、しょうもないことで喧嘩することも、世間一般的にはよろしくないことでも、全部必要なことなんだと気を楽にしてくれる。正解だらけの生活をしていても、自分にはなれないから。

それぞれのキャラの良さが滲み出る中でも、母親役のアネット・ベニングがとても良かった。自分の孤独にも怯えながら、何が正しいのかわからないドロシーの、繊細に揺れ動く心情を、絶妙な表情で語りかけていた。子は、母親だから完璧だとかなんでもできるとか、そんなことはないって当たり前のことを忘れてしまう時期がある。一方で、親には自分と違うスピードで大人になる子どもを手放しにするのが怖くなるときが来る。親が子を気にかけるからこそ、親の世代の生き方と子どもの生きる時代の考え方のギャップという罠にはまって、距離が遠くなってしまうのは、避けられないことかもしれないけど、どこか寂しさを伴う人生の季節だなと思う。彼女の微笑み方が、穏やかだったり心細そうだったり痛ましそうだったりで、本当に細かな感情を届けてくれたように思った。

うっとおしいことをしてしまったかもしれないと思う母親と、みっともないことをしないでくれとやさぐれる息子のやり取りは、すれ違いが悲しくて胸が痛んだけど、最後に2人で向き合って本音を言い合ったあのシーン、あの数分間で、どれだけの救いがあっただろう。たったひとりの母親。たったひとりの息子。愛おしくないはずがなくて、1番必要なひとは間違いなくお互いで、「強いことが1番大事」という印象深かったジュリーの台詞が鮮やかに弾けた瞬間でもあった。

70年代は女性の地位に関してもたくさんの考え方が生まれて、今作でもフェミニズムが大きく取り上げられている。こういった新しい流れと上手く関わりながら生きてきた彼女たちの葛藤だとか強さだとかが、それぞれが抱える弱さと交互に現れて見えて、すごくグッときた。パンクな見かけのアビーも本当は不安で不安で仕方なくて、多くの男友達と浅はかに関係を持つジュリーも案外やわな感受性を持ち合わせていて、堅物のように描かれるドロシーも、心ない一言に涙する日もあって、なんだかそういう弱いところをひた隠しにして必死に生きてる彼女たちが、たまらなく愛おしかった。本当に、すべての女性に共感できてしまうのは、誰もが持つ弱さの感覚を、丁寧にきちんと描ききってくれているからだ。悲しみや孤独を肯定してくれるやさしさが、淡い光とともにゆっくりと漂ってきた。

世界は私たちにお構いなく加速し続ける。つまらない正解や流行りが大量生産される中で、不器用な間違いだらけの私たちを大事にしてあげられるのは、私たち自身だ。生きていく中でたくさんのひとと関わり合い、たくさんの関係性ができてゆく。それはきっと一般名詞で言い換えられるものではなくて、ひとりひとりと唯一無二の関係を築き、それぞれとしか共有できない感情を生み出していく。どんなに不恰好でも馬鹿にされても、好きな人たちと好きなことをたくさんして生きていこう。移りゆく時代と季節の中で、ときに恥ずかしくなったり怖くなったりしながらも、伝えるべきことはちゃんと伝えて、ここだと思ったら飛び込んで生きていこう。20世紀をこんなに格好良く生きた人たちを見たら、自分の過去を懐かしみながら、凛とした顔つきで自分も未来に向かっていける気がした。
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