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20センチュリー・ウーマンのつのつののレビュー・感想・評価

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)
4.0
【1979年から放たれる「家族の形」】
タイトルから何となく『フォレストガンプ』のように、一人の人生を実際の映像素材や舞台となる時代の流行歌をふんだんに取り入れて描く「年代記モノ」かと想像していた。
実際そのような性質を持つ作品であるのは間違いないし、そのような「年代記モノ」によく見られる演出であるナレーションも多用されている。

しかし、映画が始まってすぐのあたりで観客は本作がよくある年代記モノではないことに気づく。
何せナレーションの語り部がすぐに交代してしまうのだ。
そこから映画を見ていればわかることだが、本作はあくまでも「群像劇」タッチのファミリー映画である。
破天荒なお母さんの一代記映画では明らかにない。
単純なファミリー映画とも言えないだろう。
主要登場人物の5人の中で実質的に血の繋がりがあるのは母と息子だけで、それ以外の3人は言ってしまえば他人同士だ。
それでも僕は本作を「ファミリー映画」と言いたい。

先述した通り本作には「群像劇」の要素がある。
一つ屋根の下に暮らす五人各々の人生、悩み、傷がしっかりと厚みを持って描かれる。
同時に本作は彼ら五人の確固たるファミリー映画でもある。
しかも内容を簡単に要約してしまえば「思春期の息子が母と微妙にすれ違い始め、母が理解できない文化に染まっていき(そこに誘導するのは二人の美少女というのが若干ムカつくが)最後には和解する」という非常にオーソドックスなものだ。
このように、「普通」とは外れた人間たちが織りなす「普通」の話を紡ぎ出している点に本作が持つ独特の優しさや温かみを感じる。
これは若干深読みだと思うが、1979年という本作の時代設定がこのテーマと密接に関わっているような気がする。
1979年とは若者と大人が対立構造にあったカウンターカルチャーが去った後の時代であり、社会の輪からはみ出した若者と大人が再び共生の道を模索し始めた時代ではないだろうか。
カーター大統領の演説の引用の要因もこの辺りにあると思う。
そして(劇中の言葉を借りるなら)
「技術より情熱」の世代である子供達と、技術だけで生き残ってきた親の世代とがジェネレーションギャップを乗り越える唯一の手段として用いるのが「音楽」であり「ダンス」であるのが泣ける。

勿論テーマだけでなく監督の演出にも大変素晴らしいものがある。五人の関係は映画が始まってから徐々に明かされていく構成なので、序盤は彼らがどういう繋がりで同じ家に暮らしているのかがわからない。
更に、映画が進むにつれて明かされるのは彼らの決して順風満帆とは言えない人生である。
でも彼らがおかしな関係で繋がり共に暮らしている様を、何の説明もなしに役者の演技のアンサンブルや細かな演出だけで観客に納得させてしまうのだ。
家のインテリアや装飾、人物たちが着ている服装のセンスが最高な上にちゃんと人物毎の描きこみになっている点や
「逃避」としてのドライブシーンのドラッギーな映像と最後のドライブの落ち着いた映像の対比の雄弁さなど巧みなポイントを挙げていけばきりがないほど。

だがその中で特に印象的なのはオープニングとラストの円環構造。
映画が終わって考えてみれば、五人が過ごした歪だけど幸せな時間は案外短かったようにも思えてくる。
でも彼らが作り上げた「家族の形」が21世紀に放たれていくことを示す映画の終焉が深い感動を呼ぶ。
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