藤くん

20センチュリー・ウーマンの藤くんのレビュー・感想・評価

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)
5.0
ひどく私のノスタルジーを引き出した作品に

「あまねく灰色のこの世界に捧ぐ」

人の一生はどれくらいなのか
それは経験に基づくと思う
短くても長く生きても経験の豊富さで時間は変わる
たった3ヶ月の留学でさえ多くの人と話し普段体験しないような日々を過ごし今まで見たこともないものを見て食べて聞いて
そんな人の3ヶ月はもっと長いものなのだと思う
そう思うと私の生涯は短いようで長いが
周りの人には目に見えて若いのただそれだけだ
人がおよそ死ぬまでに体験しないことを短いあいだに体験したから今の私は"右にならえの世間"では"一般的"からは程遠いマイノリティなのである
辛い10代を過ごしたから記憶と思い出を捨てやり直す気持ちで大学に入った
普通に憧れていた私は人に敏感で
こう言われたら辛いとかこう言われたら嬉しいとかそんな事に敏感で
言葉を選んで話す日々だった
皮肉にもコミュニケーションを学ぶのが専門で
人より辛い経験をしたから得られたその敏感さで人の気持ちをおしはかれる自分は自分をつくろい優しい人と呼ばれるようになっていた
思ったことなんて言わない
考えたことしか言わない
もっともっと前に壊れてたけどある日電車に乗れなくなり気づいた自分は病気に
それでも遅刻しては嘘をつき病気と悟られないようダメなやつを演じた
それから壊れ始めた
酒を飲み、好きでもない人と付き合い
どうでもいい相手だからと、傷つけることもわかっててその気持ちに蓋をした
わかってくれようとした大切な人たちもいたのにだ
大切だからそういう人とそうはならずどうでもいい人とそうなったあたり
自分がいかに最低なやつだとまた酒を飲む
そもそも病気を薬で抑えられなかったから薬を酒で流す日々だったのである
たった数時間の授業を受けるのに酒なしでは息もできなかったのだ
大学で流れた噂は半分あたってる
直に聞いたことはないけどきっと酒癖悪いとか女癖悪いとかその辺だろう
誰も私を知らないから違うんだと言いたかったけど否定もしないし、よくテレビでもなんでも、「お前らしくないよ」ってセリフがあるけどお前らしさってその人が勝手に作ったものだから。その人が思うその人がいれば、誰かが思うその人もいてその人らしさは勝手に自分が思う傲慢な指標で、そこからずれたら自分が思うその人じゃ無くなった怖さを押し付けてるだけだから
なんて思う
私はきっと酒飲みで女垂らしで人に好かれたがる人あたりに思われているだろう
違うと言いたい。私はただ友達が欲しかったんだと思う。
私を見て、私を知って、本音でお互い話せるひとが。
酒をやめた。薬はいまだに飲んでいるけれど
これが自分だと思うのに時間がかかった。こうなるために後悔することばかり選んでやってきたけどやっとこう思えた。後悔というものは残酷だ後にそう思うものだから予想して後悔しないようにというのはない。やってみないと後悔は得られない。
思ったのもつかの間、本音を言う自分は
前を知っている人には受け入れられなかったみたいで
そういう意味で思うのは
人は変われると思うけど
それは自分自身が変わる自己満足だけだということ
一つの例に過ぎないけれど
思うにこんな経験は稀だと勝手に思う
人格は18で決まり後に変わることはないという学術的な意見もある。
きっとそうだなって思うところもある
私はマイノリティになったと思う
私は今でも当時大事だと思った事や人に蓋をしている
国家資格を持とうが大金を稼ごうが
自分は変わらなかったから
事実を言うようになった
人は事実を言われなくない
向き合いたくないものだから
けど事実こそそこに本物の関係があると思う
うわべを捨て
事実しか言わない私の周りには人は誰一人ひなくなった
1人でいられるけれど
一人でいられず絶望するひとがあるれば
どうかやめてほしい
きっとって言うのを信じて、、、
みんなに好かれはしないけど
いつかもし会えるなら
ドライブでもしながら話をしてみたい
灰色の世界に唯一色を染めてくれたその人たちと

と、見終わって引き出されたラストシーン
藤くん

藤くん