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20センチュリー・ウーマンの海のレビュー・感想・評価

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)
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この映画に出てくるすべてのひとが、3年前に観たときよりもずっと自分の近くに感じられて死ぬかと思った。あの頃から、変わりたくなかった心は変わったし、分かりたくなかった気持ちも随分と分かるようになった、ほとんどを知ってしまったしほとんどを知らないままここまで来た。まず、心から思うのが、目のまえに居る相手を笑わせたいとか、幸せになってほしいとか、そのひとらしく生きてほしいとか、願うとき以上にわたしたちがユーモアにあふれ悲しみに暮れ何を失っても良いと覚悟を決められる、それ程に純粋になれる時間は他に無いってことだ。小学生だった頃わたしは、ガソリンスタンドの店員になりたかった。理由はただ一つで、母がガソリンスタンドに勤めていたからだった。冬、帰りにスーパーに寄ってわたしが寒いと言うと、母はタイヤのメーカーのブランド名が入ったウインドブレーカーを被せてくれた。一度、授業参観で、母が仕事を抜けて観に来てくれたことがあった。後ろには着飾った他の子の母親やスーツを着込んだ父親が並んでいたけど、油で汚れた作業着を着ているわたしの母が一番うつくしくかっこよく見えた。振り向いて手を振ると、満面の笑みを浮かべて母は手を振り返してくれた。中学に上がったわたしは、確か、バンドマンになりたかったと思う。小学校を卒業する頃には小さな島で自然に囲まれて暮らしたいなんて将来の夢を文集に書いていたのに、何故か突然わたしはギターを始めて、そこら辺で弾き語りをするために暑い日も寒い日も背負って出かけ、親友と先生や同級生をバカにしたり音楽とは人生とはと語り合ったり何か凄いことをしようとしていた。学校に行かなくなったわたしを母は怒らなかったけど、先生を家に呼び出して怒鳴りつけたことがあった。くだらない学校の規則が何のためにあるか全て説明できるかとか、子どもに声を荒げたり手を上げることでその子が一生治らない傷を負ったときあなたは責任を取れるかとか、そんなことで怒っていたと思う。外が暗くなるまで続いて、ついに先生が申し訳ありませんでしたと頭を下げた。母はわたしの我儘を何でも許してくれたしお金がなかったのにギターも買ってくれたし頼めば職場にも連れて行ってくれたのに、高校に行かないと言ったときにはこっぴどく叱られた。高校を出て就職して、わたしは大人になった。2年くらい前、母に恋人をつくってほしいと言ったことがある。できたら再婚してほしいと。いつか何かの事情で家を出ることになったとき、母を一人にすることが怖かったし、何より自分の代わりに母を見守ってくれる人が居てほしいとわたしは思っていた。母は努力してくれて、何人かの人と会ってもくれた。中には花束を持って会いに来るような人も居た。だけど誰とも上手くいかず、最後には「一人でいる方が幸せなの、ごめんね」と謝らせてしまった。今日は母の誕生日で、仕事帰りに花束とケーキを買って帰った。ケーキ屋の駐車場に停めた車の中で、財布を下敷き代わりにして、メッセージカードを妹と一緒に書いた。こうして祝うのは、何度目かもうわからないのに、わたしは母が本当に望むものが何なのかわからない。母が好きだという音楽を好きになれないことも多いし、逆にわたしの好きな音楽をこてんぱんに貶されたこともあった。目のまえに居るそのひとの、幸せについて答えを見出そうとすることは、自分にとっての幸せを見極め言葉にすることよりも当然に難しい。毎日悩みがあり、欲しくても手に入らないものがあり、叶うことのなかった夢があるけれど、それら全てを手にできたとして、このひとは、幸せだろうか。今ある全てを失って、今ない全てを手に入れることが、本当にこのひとの幸せなんだろうか。あなたの望むものが、わたしに分からないのは、過ぎてきた道を戻ることが決してできないからだ。知ってしまったこと、言ってしまったこと、それを許されることの痛み。傷つきたい、傷つける暇なんかないくらいに。同じ曲を歌ったこともあった。解らせられたい、手を上げる余裕なんかないくらいに。同じ曲で踊ったこともあった。いつもいつもいつも。生きていたように生きてきた、わたしといて幸せですか、あなたの人生をあなたは愛していますか、わたしを誇ってくれますか。わたしたちには、わたしたちみんなには、どれだけ遠くまで来ても失えない記憶が、痛みが言葉がある。そとにいるわたしを本当に抱きしめられるのはうちがわのひとだけなんだ、うちにいるわたしを本当に抱きしめられるのはそとがわのひとだけなんだ。わたしがわたしでいること。あなたがあなたでいること。どこにいても、どこにいても、それだけが本当に大切なことだと気づく。ママは何であの人と結婚したのと一度聞いたことがある。ママがわたしを見つめて口にした答えを、わたしは一生涯忘れないと思う。
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