20センチュリー・ウーマンの作品情報・感想・評価 - 188ページ目

20センチュリー・ウーマン2016年製作の映画)

20th Century Women

上映日:2017年06月03日

製作国:

上映時間:119分

3.8

あらすじ

1979年、サンタバーバラ。シングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)は、思春期を迎える息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の教育に悩んでいた。ある日ドロシアはルームシェアで暮らすパンクな写真家アビー (グレタ・ガーウィグ)と、近所に住む幼馴染みで友達以上恋人末満の関係ジュリー (エル・ファニング)「複雑な時代を生きるのは難しい。彼を助けてやって」とお願いする。15歳のジェイミーと、…

1979年、サンタバーバラ。シングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)は、思春期を迎える息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の教育に悩んでいた。ある日ドロシアはルームシェアで暮らすパンクな写真家アビー (グレタ・ガーウィグ)と、近所に住む幼馴染みで友達以上恋人末満の関係ジュリー (エル・ファニング)「複雑な時代を生きるのは難しい。彼を助けてやって」とお願いする。15歳のジェイミーと、彼女たちの特別な夏がはじまった。

「20センチュリー・ウーマン」に投稿された感想・評価

1979年のカリフォルニア州サンタバーバラを舞台に、当時の若者たちの流行歌であったパンク・ロックの楽曲(トーキング・ヘッズ!ノイ!ディーヴォ!)と共に、ある母子の絆を描いた本作『20センチュリー・ウーマン』ですが、私はこの映画の映像編集はかなり独特なように感じました。例えば、所々で再生速度を微妙に上げて人物の運動を早送りで見せたり、『スター・ウォーズ』のハイパー・ドライブのように走行する車に残像のプリズムを付け加えたり、静止画によるスライドショーを映画の中に効果的に挟んでいたりする。そういったことによって非常によいテンポで物語が語られていたように感じましたし、サウンド・トラックの有無に関わらず映像が常にどこか音楽的であるように感じました。そういった映像センスの中に若さのようなものを見たわけですが、監督のマイク・ミルズはすでに50歳を超えた中年男性ということらしく、更にはこの映画自体、サンタバーバラで青年期を過ごした監督の半自伝的な作品であるらしいことには驚きました。

劇中には映画的に脚色された派手なストーリー展開が用意されているわけではなく、前述の母子と、彼らを取り囲む男女の合わせて5人の日常に起こる小さな事件を延々と見せているだけなのですが、5人のルックスの良さや魅力的な内面に触れると、とても2時間では物足りないような気分になりました。些細なことでもいいから彼らの物語をもっと見せてくれという思いを抱いたのです。また彼らが生きる、政治や文化の激しい変動期である1979年という舞台設定もこの映画の重要な魅力の一つだったように思います。

しかし、それにしてもこの映画の最大の魅力は、そういった何てことのない緩やかな暮らしを描いておきながらも、映画をただの"日常系"では終わらせなかったところではないでしょうか。中盤、驚くべき時点から放たれる母の唐突なモノローグや、終盤に少しずつですが触れられる5人それぞれの後日譚には、この日常にもいずれ訪れる終焉をどうしても意識せざるを得ない作りになっている。光り輝くような1979年のこの日常さえ彼らにとっては一つの通過点であるということを悲観的になるでもなく突きつけられる部分に、見ている側としても深い余韻が残されるのです。この映画のそういった部分に、私は歌手・小沢健二の「さよならなんて云えないよ」という曲の一節を思い出さずにはいられません。

"南風を待ってる 旅立つ日をずっと待ってる
オッケーよ なんて強がりばかりをみんな言いながら
本当は分かってる 2度と戻らない美しい日にいると
そして心は静かに離れてゆくと"

もちろんマイク・ミルズは小沢健二なんて聞かないでしょうし、それどころかこの曲を知っている人でさえ、この映画を見て私のような連想に至るかは不明です。しかしこの『20センチュリー・ウーマン』は、「さよならなんて云えないよ」で小沢健二が伝えようとした情景をそのまま映像化したような、そんな刹那的な青春の輝きを間違いなく私に見せてくれたのでした。私がこの映画に激しく感動するのはまさにその部分においてなのです。


あと言っておきたいのは、私はエル・ファニングが出演している映画を見るのはおそらくこれが初めてだったのですが、登場時に彼女が着ていた黄色いシャツから確認される乳房の勾配などはちょっといやらしすぎるんじゃないかなあということと、幼馴染であるこの子が、夜になると部屋の窓から入ってきて一晩を同じベッドの中で過ごすなんていうのは、ちょっとファンタジー入ってるんじゃないかなあと、ラブコメが過ぎるんじゃないかなあということです。完全にファンになってしまいました。おわり。
chima

chimaの感想・評価

3.7
2017/06/@ 新宿ピカデリー

色んな時代の色んな年齢の正しさってあるね。
弟がいるからそっち目線でみてしまうわ。お母さんが思ったように息子は育たないもの。結局息子と母親の間に誰も入れない。
「人生はビギナーズ」を観て、新作を観たくなりました。映像と音楽はさすが!と思いましたね。ストーリーはいたって普通。ま、その普通ってのが狙いなんでしょうが。(^^;;
Yoshitsune

Yoshitsuneの感想・評価

4.2
(長すぎ、考察整理用、雑多)

1979年、ロサンゼルスからほど近い閑静で美しいサンタバーバラ。
少年ジェイミーと母ドロシアは買い物先のモールで使い古しのマイカーが炎上しているのを目の当たりにする。
大事な足を失ったにも関わらず冷静に佇む二人。ドロシアは呑気にも消防士に今日の彼女の誕生日会に来るように誘い、ジェイミーはそれをありえないと言う。さらに彼は燃え尽きた車を”obsolete"と言い切り、それに対し「新しい時もあったのよ」とドロシアは絞り出す。
オープニングにおけるこの認識・価値観の違いは本作の主題を決定づける。「大恐慌時代の人間」ドロシアといま現在からまさしく人格を形成している最中のジェイミー、二人の距離感は物語の中心である。

この作品のテーマを考えると、「ライフヒストリー」、「アメリカ的価値観のパラダイムシフト」そして「性と愛」の三つだろうか。

ジェイミーとその周囲の登場人物は以前と以後をモノローグなどで語っている。それは劇中での彼らの行動や哲学を補完するものだ。例えばアビーは自らの所持品、特に下着やセックス用品を写真に撮り、性行為においてロールプレイをしたがるが、これは出産や家族愛への渇望が表出しているのだとわかる。

彼らの生活史が語られる時、ジェイミーが重要なシーンを経験した時、当時の写真がたくさん表示される。16, 24コマフィルムをみているかのような早送りや、残像が残る古臭い編集は、時代を意識させる。(とともにそれぞれの人物にとってのその場面の重要さ、時間の流れの速さも暗示している。)
ドロシアは未だにトランペットを演奏している頃のルイ・アームストロングを聴き、異性を誘惑するのであれば社交ダンスが必須だと信じている。一方アビーは”Rain Coats”のプレイするウマヘタなパンクが新しくて素晴らしいものだと疑わず、飲み、踊り、狂い、ベッドで夜を明かすことがこれからの常識だとみなしている。感情や個人の解放こそが自由に必要で、”menstruation”を連呼するフェミニズムのexplicitさは受容すべきだと考えている。その点ジェイミーは新しいことに傾倒しつつも、”Black Flag”のような新時代のパンクには染まらない、”Breaking Heads”好きの”Art Fag”だった。
時代の変化とそれへの反応を示すエピソードは各所に挿入されている。ウィリアムの感じるヒッピーへの違和感、ドロシアによる「いま」の音楽への理解の試みと拒絶、迷走するカーターの演説への受け止め方。核家族化、子と親の分離も垣間見え、アメリカにもあったはずのコミュニティの解体と個の強調が意識される。
1979年へのノスタルジアと1979年「からの」ノスタルジア、その二つはこの作品の重層さを強めている。

最大のテーマである「性と愛」、これは個人の価値観、親子間での相違、変化もあって複雑極まっている。そもそも、本作では母ドロシアが母性を放棄し、父性と母性がアビーとジュリーに委託されている。それだけでなく、アビーにとってウィリアムはセックスパートナーであり母性のロールを果たしているし、ジュリーにとって(セックスはしないが)ジェイミーがそうである。一つ屋根の下で、絡み合った関係を結んでいるのも見所である。
ドロシアとジェイミー、二人の関係は頻繁に距離感を変化させる。ドロシアは自らの性を抑圧し、よき「親」としてジェイミーを躾けてきたが、ジェイミーを取り巻く新しい世代たちとの価値観の相違を感じとり、若い女性たちに教育を任せる。彼女たちそのものの面倒もみながら、自らも現代への理解を図るも上手くはいかず、その中で自らのダブルスタンダードや抑圧を自覚していく。対するジェイミーは真新しく一見して正しく聞こえる「新思考」を無批判に受け入れ、他者に披露し、そして傷つき傷つけていく。アビーの助言でもう大人になったと考えた彼も現実に直面し、結局は母親の元へと回帰していく。
そんなジェイミーに影響を与える登場人物たち(と彼女たちの支えにあるウィリアム)もそれぞれ性愛への見方を代表している。

ドロシアが性の理性での抑圧や、防衛機制からタバコや家族愛への昇華をはかる、内省的な人間を代表しているように、ウィリアムも家族愛や共同体愛への諦念と、快楽的な性行為のもの寂しさの板挟みになって迷うままに独身でい続ける人間である。
ジュリーは「セックスと愛情」を分離して考えており、セラピーによる強制的な癒しや解放に疑念を抱き、タバコや性行為をまるでドラッグのごとく行って満たされようとしている。しかし彼女はそこにいかなる愛もないことを知っていて、家族愛を求めてジェイミーに依存している。一方でアビーは過去はどうであれ「セックスと愛情」は同意と考えており、性行為をしない相手と一緒に寝るのは間違いだと指摘する。先述の写真や、子への渇望が示す愛情への渇望は、女性としての人格解放を通じてフェミニズムとパンクにへと結びつく。彼女の露骨な発言は、「社会性」「社交性」を通じて関係を保とうとする賢い大人たちにとって煙たいものである。


「思ったよりセックスな映画」と聞いて臨んだが、思っていた以上に露骨な性を扱っていた。(単純なラブシーンは少ない)
さらに、テーマも関係性も複雑で、文字に起こしてみるとなかなか説明が難しく、まとめにくい作品だ。
ノスタルジックさやエロティックさを受けて終わるのでなく、メッセージを整理して初めて本質を理解できるタイプだろう。
XXX

XXXの感想・評価

4.0

このレビューはネタバレを含みます

すごく良かったんだけど、その良さがうまく言えないんだけど、こうゆう人がイケてる!みたいなのがなくて、色々な人が色々に生きてて色々な関わりがあって、それをクールでも情感たっぷりでもなく、でも深い愛情を持って描いているのが良かった。
過去の出来事を描いているからかな?ホットロード形式。

主人公が母親に年をとっていく女性についての本を朗読してみせるシーン、それで私のことを理解したとでも?と切り返すのが心に残った。

映画の後は友達とこの映画の世界観とはかけ離れたボロい焼鳥屋に行って安いレモンサワーを飲んで酔っ払って家に帰って、久々にCDをひっぱり出してレインコーツを聴いてちょっと踊った。
良き映画。フェミニズムなんだけどフェミニズムじゃないよね。男がこの映画見たら1段階成長した気分になる。あと、エルファニングは犯罪級にかわいい、、とか、こんな事言っている自分がこの映画を体現してる気がするよなぁ。
roro

roroの感想・評価

3.9
シングルマザーと息子、その近所に住む世代の違う女性たちが時代に飲み込まれ、色々考え、一歩ずつ踏み出す映画。
女性はいつの時代も、複雑でやっかいだなと思う作品。
たわいもない日常が映画になるんだから、女性っておもしろいのかな…。

この繊細な作品を描いたのが男性監督って衝撃。女性のあるあるを描きすぎてて、複雑な生い立ちだったんじゃないかと疑ってしまう。

観るひとによって感じ方は違いそうだが、いろんな葛藤がありながらも、人生なんとかなるんじゃないかと、少し勇気をもらった。
chanmiwo

chanmiwoの感想・評価

3.8
色んな人の人生を一気にみた気がした。
寝る前とかにベッドで流し見したい。
エルファニングが最強かわいい。
kottan

kottanの感想・評価

4.0
世代や時代の違いって人の思考や生き方を大いに左右するもの。だからっていつの時代にも変わらないものもある。
安心できる場所、逃げ込める場所があっても、幸せになれるかなんて分からない。自分がどう感じるか。登場人物それぞれの問題、個性、背景が明確でメッセージ性は強いが全然押し付けがましくない。むしろそこが面白い。アネット・ベニングは年を重ねる毎に魅力的になってるのがいいな。
kam

kamの感想・評価

3.7
監督のネット記事を読み、興味が湧いたので鑑賞。

親と子の価値観の違い、世代の違い…親と子の個人としてのギャップみたいなものが、どちらも相手のことがわからなくなり、相手を見失ってしまう。でも、お互いをちゃんと見てみると。

人間の内面を家族や恋人、友人などの関係性から描いたいい映画でした。

主人公とエルファニングがいい!
フランシス・ハ以来のグレタ・ガーウィグだったけど、この女優さん好き。