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レディ・バードのAKALIVEのレビュー・感想・評価

レディ・バード(2017年製作の映画)
4.9
ーー一度でいいから自殺未遂(死と再生)を!!

「辛辣で滑稽、かつ感動的」と称された『レディ・バード』に私が付け加える視点があるとすると、それは「ケア」である。「ケア」とは昨今、人手不足などから問題として挙げられ、このコロナ禍で、いよいよ日本社会の大問題となったエッセンシャル・ワーカーについて…だけではない。「ケア」は子ども(0歳〜20歳)を育てる全てのヒトが、必ずやってきた「行為」である。「保育しないと死んでしまう」、「うちの子、肉が続いてるから今日は魚料理にしよう」、「就職出来るように親は全力でサポートしなければ」などなど。親の気苦労はヒト知れない。何故か「ケア」は女性たちが担ってきた。「ケア」を遠ざける男性ほど、「そんなの誰でも出来るよ!」なんて言う。アホか!!!その問題もあるけれど、加えて家族に押し付けられる「ケア」は社会に適合するニンゲンを作り上げる。「あなたの為を想って言っているのよ」は「アナタが立派な/恥ずかしくない社会人になるコトを想って言っている」でしかない。さあ、この映画を観よう。

ーー(マジで)好き勝手に言ってみろよ!!

私は、全てを放棄するだろう。与えられた言葉では、私を表現できない。「こう言った方が/考えた方が望ましい」と察しながら想ってもないコトを言うコトが社会に出ていくコトなんじゃない。だから、それだったら、何もかも放棄すべきだろう。そして本当に母を愛している。この閉じた部屋から出て行くんだ!レディ・バードがブルー・ヘアーになるコトを夢に観て。高校生活最後の年の若い女性の典型的な人生の局面は、今、最も語り倒すテーマの筆頭なのだ。何故なら彼女の周りに、政治も社会も、ジェンダーも、こんがらがっているからだ。

ーーさらに私たちは「ケア」のお話をする!!

コッポラの娘は『ヴァージン・スーサイズ』という母親のお節介についての恐怖映画を撮った。あの不気味さはグレタの『レディ・バード』にはないが、ここにはリアルな母娘の描写が盛り沢山だ。皮肉にも優しい世界がある。小さな国・政治。(無法に)押し付けられる子育て。掴み取っていく主体。知ってるかい?「主体/subject」とは「従順」という意味でもあることを…皆さんどう思われますか?民主主義とは「みんなに関わることはみんなで決めようね」という考えだけど、画面に映るのは「分かるかよ?笑」孤独感でいっぱいの、泣き崩れそうな家族の姿だ。ほら「育ててくれてありがとう!!」と国家や社会が感謝しないとならないが、母が娘にしたケアは「不可視化」。…ありがとう…そしておやすみ。
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