次男

レディ・バードの次男のレビュー・感想・評価

レディ・バード(2017年製作の映画)
4.1
主観的にいえば、あなたとか僕が、完全なあなたとか僕になってるときなんてないと思うんですよ。くっせえ意味なつもりはないすけど、いつも「何か中」なんですたぶん。死ぬときとかに、演繹的に「自分はこういう人間だった」とわかるだけで、主観的な完全なんてない。(客観的に言えば、あなたや僕はいつだって完全にあなたや僕だと認定されてると対比しつつ。)

そんなことを語り出したのは、段階という言葉を強く強く思わされたから。

映画の主人公18歳の歳の頃を過ぎた僕らが、18歳を表現しきったこの映画を観る意味ってなんかあるのか。わかるわかる、これは僕だ私だ、それだけでもいいのだろうけど。
「これを過ぎてスタートラインだなあ、エピソード0だなあ」とか思ったけど、いやいやそんなこともなく、でもでも、やっぱりそんなこともあるとも思える。僕はいま仕事の上ではひとつの節目に来ていて、日々緊張して過ごしているのだけど、ある先輩には「その役職になりたての頃を思い出す」と言われた。僕はきっと先輩からするとスタート地点。

酒に飲まれて病院に行ったレディバードなんて、大学編スタート地点そのものじゃんね。段階を超えるたびいつだってスタート地点なんかもなあ、とか言い出すのは感傷的すぎるよなあ。

◆◆

繊細で大胆な描き方はもう流石と言うしかないし、安心して18歳に戻れる。カトリックとか、線路の向こうとこっちとか、友達を選ぶこととかはじめてのセックスとか。豊富で明確なアイコンは象徴的でとても観やすく。

自意識と視線にまみれて、故郷と出自を呪ってるレディバード。彼女は一度も口にしてないけど、お兄さんのこととかお母さんからの手紙を思うと、「私は産んでくれなんて頼んでなかった!」なんてそんな言葉を、「私をレディバードと呼んで」の前に吐きかけていたのかもしれない。エピソード0のエピソード0。

通過儀礼を満了した彼女が故郷を出るときの車窓。お母さんと重なる姿。思い出すだけで涙が溢れるよ。

◆◆

音楽よかったな。音楽よかったし、音楽にまつわる会話で素敵なのもふたつ。「私は好き」と、「でもヒットしてんのよなんか文句ある?」。かっけ〜〜。
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