愛おしい退屈。相変わらずの嘘つきで見栄を張っていても、こんなにも今日彼女は新しい。いつもの街角に、隠れていた美しい景色を見つけたとき。あのときから、彼女はもう自分を守る理想の名前がなくても大丈夫だった。遠くへ飛んでいくための羽も、また帰ってくる理由も、間違いなくここにあることをクリスティンは知っているから。
こんな愛し方もあるというよりも、これが愛だった。伝えたい思いの強さを沈黙でしか届けられないことも、相手の顔が見えない場所からでないと絞り出せない声があることも、全部それぞれに正しい形をした愛。レディ・バードが学校に行く際に、少し手前でお父さんの車から降りること、決して恥ずかしさばかりがそうさせていたのではなかった。お母さんについ尖った言葉を放ってしまうのも、愛の奥で臆病な気持ちがひとり震えていたからなんだと思う。間違えることは怖い。自分が弱くなってしまう気がするし、憧れが遠のいていく感覚ひとつで、ひとはどれだけでも落ち込んでしまうもんね。だからこそ、不器用に支え合う家族のおぼつかなさが、どうしようもなく胸を焦がす。お互いに思いがすれ違っていることには、きっといつも気付いていた。それほどに近くにいたということなんだと気付くのは、信じられないくらいに難しいのにね。
17歳という、優劣なんか存在しないものの順位や評判が気になって、丁寧に進めることのできなかった時間。急ぎすぎると、私たちは一生抱きしめていくであろう経験を大切にし損ねてしまう。憧れや理想だけが膨らんで現実が色褪せて見えてしまうとき、何が悪いのかじゃなくて、本当に美しいものが何なのか探し続けることを、どうか諦めないでいて。つまらないこと。失望すること。そうやって自分を悲しませる出来事は消えないけど、止むことのない胸の高鳴りで頭がぼうっとしたことも確かな本物で、ただの「昔」にしてしまうには惜しいたった一度の光や夜だったはずだから。愚かでゆめかわいかったあの頃の時間を、お願いだから死なせないで。
うるさくてみすぼらしい街がなんだか姿を変えて見えるとき、それは私たちの心の背丈が伸びた印かもしれない。誰しもが、青すぎた十代に今尚何度でも恋をする。瑞々しい若さとほろ苦い大人への歩みが混じり合って、私たちをあの頃へと運んでいく、校舎、街並み、散らかった部屋、最初の触れ合い。もう必要のないレディ・バードという名前がくれた空の高さに、クリスティンはきっとこれから何度だって救われて、生きていく。