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レディ・バードのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

レディ・バード(2017年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

現実より夢のウェイトが、ずっと大きかった10代。何でも出来ると根拠のない自信に溢れていたあの頃、この映画は自分の激しすぎる反抗期を思いださせる。私は典型的な内弁慶タイプ。外では何も言えないクセに、家では手のつけられない悪たれだった。この映画に、自分は親に甘えていたガキだったのだと改めて思い知らされた。

ツールさえあれば、自分の好きなモノだけ選択して生きていける現在、今どき珍しく、真っ向から反抗期を扱った映画である。

私のようないい歳した大人ならば反抗期を懐かしく思うのだが、公開1年以上経過して、未だに話題になっているということは、現実世界での自我の確立を諦めて、非現実世界に逃避することなく、現代の若者にも反抗期があり、共感するという事なのだろう…。

反抗期とは?

人間の成長・発達過程には、親や年長者あるいは既成の価値体系を拒絶、否定、無視し,激しい怒りの感情を表出したり破壊的・暴力的な行動をひきおこしたりすることが目だつ時期がある。

この時期を反抗期というが,否定的行動が多彩に現れるので否定期と呼ぶこともある。
いずれも自我意識の発達に伴う自立・独立の欲求の高まりが、その背後にある正常な現象であり、人格発達上重要な意義をもつものである
(世界大百科事典 第2版の解説を抜粋)

要は、この映画の主人公は、親の庇護のもとに暮らしているが、それを窮屈に感じていて、親にも周囲にも、一人前の人間として扱って欲しいともがく子どもである。

今どきの言葉で言えば、「イタい」女の子である。

主人公クリスティーンは自分の事を「レディ・バード」と自称しており、周囲の人間も仕方なく、主人公を「レディ・バード」と呼んでいる。

この映画はよく「瑞々しい感性」と評されるがとんでもない。
とても「イタイタしい」映画だ。

「わたしの事はレディ・バードって呼んでね」もうココからして「イタい」。

カリフォルニア州、サクラメントに住むレディ・バードは高校3年生になる頃で、そろそろ大学進学を考え始める時期。

冒頭からしてイタい。
レディ・バードと母親は、オープンカレッジからの長い帰り道、「怒りの葡萄」の朗読を母親と涙しながら聞いていてたくせに、車中で口論になります。

「わたしはサクラメントのような田舎街の大学に行きたくない。文化的で刺激的なニューヨークの大学に行きたいわ。」

母親「そんなのだめよ。都会に行ったら非行に走って人生台無しになるんだから…」

レディ・バードは母親と口論になり、走行中の車から、身を投げ出す‼️
結果、骨折…。別な意味でイタい。

この映画のお母様は、言うことすべて正しい。でも正しすぎて息が詰まる。
でも自分も人の子の親なので、言いたいことはわかる…。

反抗期の娘になのだから、ひと言で注意すれば済むのに、二言三言多い。

夫も長男も失業中で、看護師の自分ひとりで家計を背負っているもんだから、つい口をついて出てしまう。
「うちは貧乏なんだから!」
同じ親としては彼女がそう言いたくなる気持ちは痛いほどわかる…。

しかし、これを言われる方は、全く面白くない。
私自身も反抗期を経験しただけに、主人公の気持ちも分かるのだ。

主人公の反抗期真っ只中の女子高校生レディ・バードにとっては「だから何?それ私と関係ある?」って感じだろう。

それにしてもイタい名前を自分に付けたものだ…。
タイトルの「レディ・バードとは?」と検索すると、イギリス英語で「てんとう虫」のことだと出てくる。

欧米では、てんとう虫は神の使い、もしくは幸運の象徴として非常に大事にされている。
しかもこのLADYとは、聖母マリア様のことを指す。自分は聖女、特別な存在だと言いたい。これもまた、イタい。

クリスティンがカトリック系の高校に通っていることからも、自分のニックネームに幸運の象徴で宗教的な意味合いが強い「レディ・バード」を選んだ意味の重要さがおわかり頂けただろうか?

ただし、レディ・バードにはスラングで「みだらな女」という意味もあるそうだ。
それを考えると、クリスティンがHにも興味津々で、かつ反抗的な生き方が、自称の名前に反映されているようで、さらにイタイタしい。

母親は彼女に、地元の大学に行ってほしいけど、本人は東海岸の大学に行くことしか考えていない。
うるさい親から逃避したいのだ。
自由を求める、その気持ちは分かる。

私は何でも出来るのよ、未来を自分で選ぶ権利はあるわ!
分かる分かる…。私自分もそうだった。
そう自分を信じて、親元を離れた。

私も高校を卒業後、当然のように親の金で上京し、東京の大学に入りました。でも付いて行けず、1年でさっさと辞めてしまった…。

映画のなかで彼女の経験していくことが、自分の青春時代と重なりすぎて、何だか情けないやら申し訳ないやら。

改めて、自分の人生を振り返ると、どうしようもないクズ野郎だったことに気づかされる…。

でも、青春真っただ中って、現実より夢のウェイトの方がずっと大きいです。
彼女もそう。
夢の実現が自己実現だと思うのです。

主人公は、実行に移るのも早ければ、物語の展開も早い。
恋の始まりも早いけれど、終わりも一瞬で訪れる。
テンポよすぎて、気持ちが追いつかない箇所もある。

レディ・バード演じるシアーシャ・ローナンの演技の根底には、「お母さんに褒めてもらいたい」という寂しい気持ちが見え隠れして、切なく胸がしめつけられる。

主人公の通う学校は、カトリック色の強い学校だが、レディ・バードはいつもカッタるそう。
祈りも適当、合唱も適当…。
目的が無ければ、学校ってカッタるい。
そんな時期あったなぁ…。

そんなレディ・バードも、ちょっとぽっちゃり体型の親友ジュリーと仲良く過ごし、兄の働くスーパーマーケットでたむろってはだべる日々。
そんな無意味な行為が青春だったなぁ…。

ある日、レディ・バードと親友ジュリーは演劇クラブに入部。
主人公は自己表現の一環として演劇を志す。
何故か、目立ちたいと思うんだよなぁ…。
モテる為に、スクールカーストから抜け出す為に…。青春ってイタいよなぁ…。

一緒に参加していた男の子ダニーに一目惚れするレディ・バード。
アプローチの末、二人はデートする仲に。
「あの星はわたしたちの星よ♥」と二人は夜空を見上げてそんなロマンチックな会話を楽しみます。

その後はマリファナを吸ったり、パーティーで騒いだり、キスをしたり。
恋は盲目。冷めた目で見るとバカップル。

一方で、レディ・バードと母親は、いつも喧嘩ばかり。
一人前の女として扱って欲しいんだろうなぁ…。

母親は生々しい避妊の話までする。
親としては心配だよなぁ…。
恋や結婚が失敗と感じたら嫌だもの。

演劇クラブの本番は大盛況。ダニーともラブラブ。演劇の打ち上げパーティーに参加するレディ・バード。

しかし、男子トイレの中で男の子とキス‼️をするダニーを発見。

その晩、レディ・バードは泣きながら、親友ジェニーと過ごす。
それからというもの、レディ・バードはダニーをあからさまに、しかも徹底的に避けますが、ダニーに告白される。

「ごめん。でも辛かったんだ。自分がゲイだと誰にも言えなくて。」

号泣するダニーを抱きしめるレディ・バード。二人は友人に戻る。
一度は自分が愛した人。無碍には出来ないよなぁ…。

レディ・バードがカフェでアルバイトをしていると、テラス席に一人座り、本を読む男の子カイルが気になる。

カイルは学校の人気バンドのメンバーの一人でもあり、超イケてるスクールカースト上位の男の子。
男の子の自己表現は音楽が多いよなぁ…
そしてモテたよなぁ…。
あ、モテる為にやってたよなぁ!
私もやってた…。イタい、イタい思い出だなぁ。

レディ・バードはカイルに近づくために、カイルと同じバンドメンバーと付き合っている学校で一番イケてる女の子に近づく。

教師という共通の敵をからかう作戦が功を奏し、学校一イケてる女の子と友達になり、そのままカイルと良い関係になるレディ・バード。

レディ・バードはカイルにヴァージンを捧げてしまう。
男の子が、友達から関係を作り、回り道しながらも、いい女に猛アタックして、ヤラセてもらう(童貞を捨てる)心理と似ている…。
背伸びしてヴァージンを捨てても、大人になった証明にはならないのに。

「あなたも童貞って言っていたじゃない。どうして嘘ついたのよ」
イタい…イタすぎる…。さぞ痛かったろう、別な意味でも。

ボーイフレンド、カイル役の「君の名前で僕を呼んで」のティモシー・シャラメ君は、目元がセクシーでインパクトが大きい。

イケイケで遊び人のカイルは悪びれる様子もなく、レディ・バードは怒って、部屋を出ていく。合意と信頼は別モノだと知る。

迎えに来てくれたお母さんを見ると、泣き出してしまうが、お母さんはただ抱きしめる。
女として経験値が違う。母親には懐の深さがある。
包み込む優しさは、子の親として、泣けるなぁ…。

一方で、カイル含め、イケイケグループとの交流が深まるレディ・バードは、親友ジェニーとの関係が疎遠になっていく。

場面は変わり、レディ・バードと母親は、卒業式のプロム用の衣装を買いにスーパーマーケットへ行く。

「これはどう?素敵じゃない?」
「あなたに似合わないわ」
「どうして、いつもわたしの事を否定するの。ただ可愛いね、似合うねって言ってよ。わたしを愛してよ。」

「あなたを愛しているわ。だから本当のことを言うの。あなたはわたしよりも素晴らしい人生を送ってほしいの。」
「わたしの人生はこれで素晴らしいわ」

家族しか出来ない、とても生々しい言葉の応酬。しかし、選んだ服の趣味が一致するのが笑える。
やっぱり親子なのだ。

レディ・バードは、内緒で受けた州外の大学からの合否の手紙に一喜一憂。
ほとんどが不合格、何とかニューヨークの大学だけは補欠合格に。

しかし、母親には、地元サクラメントの大学に行くと伝え、内緒にします。

プロムの日。
レディ・バードはドレスアップし、カイルに迎えに来てもらうが…。
レディ・バードは一度寝たからか横柄な態度なカイルに嫌気がさし、そのまま疎遠だった親友ジュリーの家へ。
そこにはプロムへ行く相手のいないジュリーが。
レディ・バードと親友ジュリーはプロムへ行き、二人でダンスを踊る。

見栄と自由を追っかけていたばかりに、大切なものを見失っていた自分に気づく。
ホロリとくる名シーン。

プロムの後、レディ・バードと親友ジュリーは離れ離れになることを受け入れる。

卒業式の後、家族でご飯を食べていると、そこに友人が通りかかり、「ニューヨークの大学はどうなったの?」と余計な一言を言って去る。

レディ・バードのお母さんはニューヨークの大学に行くことは知らず、てっきり地元の大学へ進むと思っていたので、大激怒。
嗚呼、やっぱり内緒で進学なんて無理だよなぁ…。

それから数ヶ月間、母親は口を聞かなくなる。そのまま9月になり、レディ・バードはニューヨークの大学へ行くことに。
空港まで送ってもらうも、お母さんは未だに怒って口を聞いてくれない。

この親にして、この子あり。
とてもイタイタしい…。

レディ・バードは飛行機へ。
娘を空港へ降ろしたお母さんは、強がっていだが、耐えきれず涙を流し、空港へ戻る…。
もう会えないかも。少なくとも、もう一緒に生活は出来ないかも。
ケンカも出来ない。心配すら出来ない。
お腹を痛めて産んだ、自分の血と肉の分身が去っていく。
人生の一部が居なくなる…。

親の立場としては号泣。
母親役のローリー・メトカーフ。
映画では、これまで記憶に残る役が来なかった苦労人。
個人的には、この年のアカデミー助演女優賞です。

大学生活を営むレディ・バードはパーティに参加、男の子をナンパ。

「わたしの名前はクリスティーン」
クリスティーンは親から頂いた自分の名前を名乗るようになります。

誰も自分を知らない土地。
何も隠す必要は全くない。
ありのままの自分で生きて行こうという、細やかな決意が、その一言に集約される。

パーティで男の子と意気投合
しかし、飲みすぎて急性アルコール中毒で倒れ、病院に運ばれる。

再出発と息巻き、カッコつけて、調子に乗った結果である。
化粧もハゲ落ち、ゲロにまみれた、あられもない姿。
情けなさに自分が「子ども」だったことに、ようやく気がついた。

酒の失敗だけでなく、後悔する体験は誰にでもあるはず。
女子の酒の失敗は…イタいよなぁ…。

翌朝、目覚めるレディ・バードは、寮に帰る道で教会を見つけ、中に入り聖歌隊の歌を聞き、故郷への想いを馳せる。
教会から出たレディ・バードは、実家に電話をかける。

「ママ、パパ。サクラメントの美しさに気づいたわ。お母さんも同じような景色を見ていたのよね。それと、わたし、お母さんとお父さんの事、どれほど愛しているかって気づいたの。愛しているわ」

親元を離れて気づく、親の有り難みと愛情。自分が「子ども」だったことに気づいて、新たな道を行く決意。

子ども時代の終わりは、自己の発見と大人への共感だった。
いくら「自分の居場所」や「自分らしさ」を探しても、自分を育てた親や周囲の人々が自分を作っていたルーツであるという事実に気づく。

レディ・バードを見守る寡黙な父親も良い。
夫婦で役割分担しているのだろう。
母親の小言に対して、子を励まし、我慢強く見守るスタンスが好感が持てる。


誰にでも通り過ぎる青春時代。
新しい出会い、新しい出来事が増えていく。
進路に悩み、親との関係に悩み、友人関係にも悩み、恋にも悩む。
でも、その1つ1つが新鮮であり(時にはヤラカシてしまうが)その1つ1つが大切な青春の思い出となる。

高校卒業時には、友人や家族、そして故郷を離れ、多くの人が別れを経験する。
そのときに何か、今まで感じた事のないもの感情が生まれる。

そんな忙しい数年もあっという間に過ぎ去っていき…。
(映画は、エピソードの一つ一つが短く、展開がホントに速い。)
歳を取るにつれ、あの青春時代の記憶もどこかにしまってしまう。

平凡で退屈で地味な高校時代だった…。
そんな印象で固められていた自身の記憶。

この映画を見た帰り道、高校時代のしまっておいた、誇らしい、そして恥ずかしい思い出たちが蘇ってきた。

友達と仲良くなったり疎遠になったり、先生に反抗したり、生意気な態度を出したり、親を好きになったり、嫌いになったり…。

人を好きになってウキウキしたり落ち込んだり、そんな数え切れないほどの青春の思い出が溢れてくる。

平凡で退屈で地味な高校時代という印象を…。
自分の青春時代は最高だった。
自分も人並みに青春時代を過ごしたな。
自分の青春時代も映画のように素晴らしかったな。

ラストで、そんな方向に転換させ、親と子の有り難みに、気づかせてくれる稀有な映画。有難う。

誰の青春時代もそれぞれが素晴らしいし、映画のようにキラキラしているのだと思った。

主人公の言動が若い頃の自分と重なり、イタイタしく、恥ずかしくなること請け合いの青春映画である。
続編は作ってはいけない。
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