まりぃくりすてぃ

オンネリとアンネリのふゆのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

オンネリとアンネリのふゆ(2015年製作の映画)
2.7
★天使の私からの感想★

またまた可愛くて素直な映画っ。


★悪魔の私からの感想★

前作でゾンビとしてアイスクリーム売りのお兄ちゃんを追い回したオンネリとアンネリが、今作では巨大な怪物となって私たちに睨みをきかす! あーっ怖かった。。。。。


★普通の私からの感想★

縮尺違いの人や物の合成映像では、大きさによる運動速度差をつけないと非リアルでチープだよ。コビトたちをもっと速く喋らせ動かさないとね。怪獣特撮でとっくの昔に確立されてる原則を無視したんだね。
チープなだけならいいんだけど、、、大小二体を視た時に私たちは普通、弱くて小さい(&自然で美しい)方に判官ビイキで感情移入する。じゃあ、“ごく自然ふうなコビトの一家”と“顔面力が強めである二大幼女”のどっちをヒイキしたくなる? バストショットやアップショットが多いぶんだけ、幼女たちの方を巨人と錯覚しちゃうよね。
モンスターは言いすぎだけど、オンネリとアンネリ、前作よりも感じ悪いよ。まず、いっつも左右に並んで互いに似たセリフばかりを連ねる。前作では二人の家庭環境の描き分けとかあったけど、今作では(髪の色も今さらで)オンとアンの個性・役割の違いが無だったね。例えば二人がたまには喧嘩するとか、別個に動くとか、させればいいじゃん。続編のわりには演技力の向上がなく、そのわりには老け感だけが早くもある。(撮影現場や私生活でじつは仲悪かったりして。だとしたら50年後にジェーンに何が起こったか的作品で殴り合ってネ。笑)
冗談はおいて、、、前作のアイスクリーム売り青年ネタと同じことをやらかしてる説教映画でもあるね。主役ら子供たちは善人、大人たちもほぼみんな善人、その中で一人だけ「金に困ってる貧乏人」が悪事に走ろうとして、それを寄ってたかってみんなで追い詰めて(しかも非常にアッサリと!)改心させる。これ、教育上(善いようで)善くないと思うよ。
「貧しい者が貧しさゆえに出来心で悪に走る。その悪人を社会のみんなで諭し、諫める」───そんな流れを道徳として毎回毎回子供観客の心に植えつけるのはチョットね。しかもアイスクリーム屋の時は切実っぽい動機が一応あったが、今回の「南の島へ旅行したいからもっと金が欲しい」なんて、理由になってないよ。そのわりに、コビトたちを金のために拉致するまでに妙に時間がかかる。
さっさと拉致してそこからがドラマ、なのに、後半にやっとドラマ。これじゃ子供観客は前半だけで飽きちゃうに決まってんじゃん。。。
すごく当たり前のことわざわざ書くけども、貧富の差を生み出しがちな社会(特にそれのトップたちこそ/または全員)が悪い、と考えない限りはせいぜい“平和な警察国家”しか完成させられないんであって、「つい悪事に走っちゃったドロップアウト者」をつどつど責めるばかりなのはつまんない。
フィンランドが右にも左にも偏らない高度な民主主義国の歴史をたどってきたらしいことは私も知ってる。でも、まるで「政府の悪に目をつぶる一方、市井の犯罪者への個人攻撃には燃える、産経新聞や読売新聞やNHK」調みたいな基底をこの映画にちょっぴり感じたよ。「金持ちがさらに金を得ようとしてあくどいことを思いつく」とか「金持ちでも貧乏でもないけど何となく悪が性に合うから悪に狂う」とかでもいいのにさ。。
政治経済の話なんてまあ全然どうでもいいけども、「子供が観たら飽きちゃう」「大人目線だと『可愛い、カラフル、ほっこり』以外にさほど価値がない」幼稚なだけの映画ができちゃった一因が、こういう「子供たちのためにどういう未来を提示していきたいか」について考えナシだったことかもしれないね。真の傑作なら、『若おかみは小学生』みたく子供が観ても大人が観ても感激できるはず。
やっぱ第一に、コビト物語なら、日本の佐藤さとる童話のリアリティーにもう少し学んで作ってほしかったし。(←コロボックルはものすごい早口で、動きも超敏捷。)少年プティのアリス的巨大化も(楽しくはあるが)サイズ的にハンパだった。

というわけで、そんなに面白くないけどまあまあ楽しい映画だった。
ついでながら、これの原作童話の文章(訳文)には何と「洞察力」「基準」なんていう難しい言葉が使われてる! 映画と原作は全然違う!