都落ちMiyaco

ダウンサイズの都落ちMiyacoのネタバレレビュー・内容・結末

ダウンサイズ(2017年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

人口飽和に起因する資源の枯渇・食料問題を解決する手段として人間を「ダウンサイズ(小型化)」するというアイデア。小さくなれば、食料もスペースも今までとは比べ物にならないほどに少なくて済み、これまでよりも裕福な生活が手に入る。ミニチュア感を強調する小道具や撮り方は目を見張るものがあった。
しかし、中盤から話の流れが変わって「環境問題の悪化はもはやどうしようもなく、人類は地球上で生き延びられない」とダウンサイズは全く関係のないテーマに移ってしまった。果たして、このテーマに「ダウンサイズ」は必要だったのか? と疑問に思わずにはいられない。
地下で生き延びるにしても、少数の普通サイズの人たちが、ミニチュアの世界(人々や動植物)を管理・維持していく方が合理的だろう。作中にあるような、人だけでなく家畜も植物もすべてミニチュアにして地下にこもるなんて、エネルギー的にも食糧的にも何も問題が解決していない。すべてを小さくしてしまっている時点で、他の人類滅亡を描いた作品によく出てくる「選ばれた一部の人間で世界を維持していく」と何も変わらない、ただの口減らしによる解決である。
中盤に登場したクソ無礼なベトナム人(ノク・ラン)に気分を害しながらも、きっと面白くなるに違いないと我慢したのにガッカリである。ノク・ランの魅力が全く分からず、なぜくっついたのかも理解できない。ただただ無礼で、傲慢なだけにしか見えなかった。

ここから蛇足。
ダウンサイズした後もなお、貧しい暮らしをする人がいるという、結局のところ、貧富の格差はなくならないとするメッセージは良かった。毎夜パーティに明け暮れる金持ちと、翌朝清掃に来る貧しい人の対比はよくできていた。
そもそもダウンサイズのアイデアは、普通サイズの生産で賄えるようにするため、消費側を小さくすることがカギ。そこにはダウンサイズした世界で豊かに暮らす人々と、それを支える普通サイズで今まで通りに生産を続ける労働者の存在がある。ダウンサイズ自体が格差社会を内包していると言ってよい。アイデアそのものが特権階級の考え方なのだ。まあ映画には関係ないんですけれども。