このレビューはネタバレを含みます
実在した伝説的トランペッターであるチェット・ベイカーの半生を描く本作品。
演じるのはイーサン・ホーク。
最近ガタカを観た。
今から20年前の若かりし日のがむしゃらな彼も素晴らしかったが、本作の円熟味を増した哀愁漂う演技や歌声、トランペットの響きは、どうしようもなく最低で最高なチェット・ベイカーの魂を宿したかのようで、彼の代表作の一つとなりそうな程の名演技だったと思えた。
この物語でカルメン・イジョゴが演じるジェーン、実はこの部分はフィクションであり実際にはジェーンは存在しない。
チェットの変えられない不器用で破滅的な生き様を象徴する為にアレンジされたエピソードだ。
物語は若き日の栄光から年月を経て、麻薬や酒、女に溺れ転落した人生を味わう場面から始まる。
運良くハリウッドから救いの手が差し伸べられ、自伝映画が撮影されることとなり、この映画でジェーンがチェットの妻を演じる。役の上だけでなく、やがて彼女と恋が始まる。
(駄目な男とわかっていても惹かれてしまうチェットの悪人ではない純粋さこそが、彼が伝説として今尚人気な所以なのかもしれない。)
その最中、チェットに再び悪夢が襲う。
彼がツケ倒してきた薬の売人からの凄惨なリンチに会い、再起不能なほどに歯や顎を砕かれ、トランペッターとして窮地に立たされる。
ドラッグ、酒、女に溺れた最低なこれまでの生き様。
だがチェット、トランペッターとしての誇りは決して失うことはなかった。
勿論それは、献身的に支え続けたジェーンの愛があってこそ。
ドラッグを絶ち、地道な仕事をこなしつつ、
苦難を乗り越え一歩づつ、また一歩づつ…
再び輝きを取り戻したチェットのトランペット。
関係者が集い、ステージ前の最終試験の様なセッションが開かれる。
“My Funny Valentine”
ジェーンに捧げるかのようなチェットの歌声とトランペットの音色が、心に染み渡り、鳥肌が立つ。
そして掴んだ夢への切符。
ニューヨークの聖地“バードランド”への出演が決まる。
ジェーンのオーディションが重なりニューヨークへはチェット一人で。
ジェーンの居ない控室で、マイルス・デイヴィス等大物達も見守る大舞台へのあまりの緊張に、子供のように怯えるチェット。
ジャズの世界にしか生きられない彼とって、死にものぐるいで這い上がり掴んだ最後のチャンス。
失敗=次はないと刹那的に自らを追い込む恐怖心が痛々しい。
極限状態の心はドラッグへの依存に揺れ動く。
ジェーンを失うか、ドラッグを取るか…
マイルスの言葉「女と金のために演奏しているヤツは信用しない」が私の脳裏に重くのしかかる…
バードランドに現れたジェーンの前でチェットの演奏が始まる。
ラストシーンの“Born to be blue”
まるでジェーンに向けたメッセージのよう。
彼女への愛は紛れもなく本物だ。
“ブルー”
生まれついてのチェットの悲しい生き様が、哀愁を帯びたトランペットの音色と重なり、噛み合う事のない歯車に、どうしようもない程の切なさが募る。
※それにしてもジェーンを演じたカルメン・イジョゴ、とても素晴らしい女優さんだ。彼女の演技がこの映画に深みを与えていると言っても過言ではない。彼女の他の出演作も是非観てみたい。