【ディストピアの休日】
あるじ不在のピクニック。だから、モノたちは勝手に動き出す。楽しもう…としているらしい。
やっぱり、共産主義が奪う主体性のことを言い残しておきたいのかな、とはおもう。
でも、この明確なオチは却って、冷める。
このオチなら、ない方が、ずっとオソロシイ映画に留まっていられると感じる。
だって、あるじが居ようが居まいが、システムは生きているということで、それは言わばリビングデッドなのだがそういう姿として、それを共産主義と呼ぶなら呼ぶで、永遠に続くってコトでしょう?
今回は再見だったが、前回から時間が開いており、オチはすっかり忘れ、ないものと思ってゾクゾク怖がっていたので…自分でも驚くほどガッカリな後味でした。シュヴァちゃん映画なのに!
ワイズマンと言われると、そこにも意味を見出しそうになるね。
<2024.8.5記>