sanbon

パーティで女の子に話しかけるにはのsanbonのレビュー・感想・評価

2.5
この作品からなにを受け取ればよかったというのか。

この映画は、画面の端から端まで余す事なくメッセージに溢れかえった、とんでもなくメッセージな作品となっており、むしろメッセージとはこの映画の事なのかな?なんて逆説を唱えてみたくなるほど、非常にメッセージ性にエッジがかかった作りになっていた為、あ、なるほど、これこそが真のメッセージだったのか!と固定概念で凝り固まっていたメッセージ像を根底から覆す程のメッセージを大放出した、まさにメッセージの皮を被ったメッセージという感じで、もはやメッセージの権化と化しているようにも思える作品だった。

つまり、分かりやすく端的に言うと「意味不明」だったという事だ。

マニアックなフェチ映像を「エルファニング」が実演してくれているという点で言えば、即座に"世界無形文化遺産"にでも登録して欲しいところではあるが、それ以外の価値を僕程度の矮小な人間が見出すには、些か感性が未成熟すぎた故、この"前衛的"な作品を評価するには到底頭が追いつかなかった。

まず「パーティで女の子に話しかけるには」という"甘美"で"ポップ"なタイトルと、片耳イヤホンならぬ片耳ヘッドホンでラブソングでも聴きあっているかのような"キュート"で"甘酸っぱい"メインビジュアルが、"詐欺"としか言いようがない程全く以って内容にそぐわない。

まさか「宇宙人とパンクロックで心が通じ合い48時間以内に妊娠する話」だったとは、この視覚的情報だけでは一切読み取ることは困難である。

本来なら「パーティで宇宙人を孕ませるには」というタイトルで、"サイケデリック"な背景色に奇抜なゴムタイツを着た宇宙人達と舌舐めずりをして絶叫するパンキッシュな人達をふんだんにちりばめたのち、そのセンターに主役の二人を配置したようなパッケージが内容的には正解なのだから。

この作品、マイノリティな趣味趣向をお持ちの方には垂涎ものだろうが、極めて一般的なフェチズムを好む方には、少しばかり疎外感を感じてしまうかもしれない内容なので、そこは注意が必要なところ。

僕も、何度時計をチラ見しては停止ボタンに手が伸びかけた事か。

でも、その手を毎回止めてくれたのは、エルファニング、君がいてくれたからだよ。

このカオスでカルトでサイケデリックな世界観の唯一の希望となっていたのが、なんと言ってもエルファニングの存在だ。

彼女が、本物の恋人同士でもやらないようなあれやこれやを体当たりで実演してくれていたから、最後まで完走する事が出来たのだ。

その最たる行為が"ゲロチュー"だ。

ゲロチューなんて言葉があるのかは知らないが、キスの最中にゲロを吐きかけられるなんて、普通であれば想像しただけでも最悪極まりないのだが、エルファニングのものという事なら10ガロンくらいさっさと持ってこいと言わざるを得ない。

次は"脇プレイ"。

そのような言葉などこれまで聞いた事も無いのだが、エルファニングに導かれるがまま彼女の脇をねっとりと入念に撫でまわしていくのが、いわゆる脇プレイだ。

もしその最中に脇が臭ったら…なーんて心配はご無用だ。

それは男にとってとてつもない活力の源であるのだから、むしろ臭くあれと声を大にして叫びたい。

そして、ついに始まる"ペ○ス品評会"。

エルファニングの口から男のナニの批評が聞ける日が来ようとは、天皇様のお言葉に匹敵するその有り難さに、普段はトグロを巻いて怯える幼蛇のような姿のマイサン(私の太陽)も、この日ばかりは浮かれ八丁で元気に日光浴を楽しむ他なかった。

まだまだこんなもんじゃないぞ、"足プレイ"。

エルファニングの足の裏はどんな芳香を漂わせているのだろう。

誰もが一度は疑問を抱いた事であろう宇宙の謎に、今回アンサーが提示される瞬間が訪れた。

なんと、彼女の足が男の顔面をねぶるようにして這っていくのだ。

この映像は大変貴重で、"1998年"から始まった「エルファニーニョ現象」観測史上初の出来事である。

"かほり"までこちらに伝わってこないのがもどかしい限りだが、この時の為に人類はイマジネーションをこの身に携えたのだから、その映像さえあればなんら問題はない。

今こそ補完計画発動の時である。

それ以外にも、エルファニングによる"顔面舐めまわし"も外せない。

ひと舐めされたが最後、酸っぱい匂いに吐き気を催す最低の行為である為、たとえ実の恋人であってもこのような愚行は御免被りたいものだが、彼女が舐めてくれるというのなら、顔だけと言わず足の先から髪の毛一本に至るまで残さず唾液に塗れたいと思うのだが、当然これは全人類の総意という事で異論はないだろうか?

他にも、大きく開けた口と口を互いにくっつけあって行う大声自慢コンテストには、どこでエントリー出来るものかと町内を駆けずり回ったし、トマトをぐちゃぐちゃにして食べあうポッキーゲームも、トマト片手に「山崎まさよし」の「One more time, One more chance」をBGMに、エルファニングの姿をあてもなく探し回ったものだ。

このように、変態エルファニングを味わいたいなら現時点でこの作品は至高の出来である。

が、エルファニング以外のシーンに関しては、あっても特に意味が無い、というか意味が分からないので、エルファニングのシーンだけを掻き集めたディレクターズカット…いや、完全版が出たあかつきには10枚程購入して、用途に分けて保管したいと思う。

最後に、上記の通り僕は至って平均的な趣向しか持っていない人間と言えるので、この作品を十分理解し楽しむ事が出来なかったのが残念でならないと感じた今日この頃であった。