ドラン監督のある種の自伝的作品。母と子の関係、アイデンティティがテーマ。
アメリカの人気俳優、ジョン・F・ドノヴァンと、そのファンの子どもであるルパート・ターナーは文通をしていた。
ドノヴァンはあることをきっかけに亡くなり、ドノヴァンに影響を受けたルパートは俳優となった。
ルパートはドノヴァンとのやり取りを本に書き、記者にその詳細を話すところから物語は始まる。
ドラン監督が子どものころレオナルド・ディカプリオにファンレターを書いたところからアイデアを膨らませた映画。
ドノヴァンは俳優もこなすドラン監督自身でもあるし、幼き頃のルパートもドラン監督の投影だと思う。
これはドラン監督のある種の自伝であり、彼が今と過去の自分自身を繋ぎ合わせて創り出した作品だと捉えている。
超人気俳優とそのファンの子ども、という組み合わせがフックだがあまり重要な要素ではない。
描きたかったのはどちらとも父親がおらず、母親との関係も上手く行っておらず、お互いどこにも居場所がなかった2人がどう感じてどう行動したかだ。
母子の関係、孤独の2つが主題の映画である。
ドラン監督は何度も母子の関係をテーマに映画を撮っているが、今回は息子はとうに成長しているのにそれに気づかず思い通りに支配しようとする母親との関係を描いている。
2つ目はゲイであるドノヴァン、転校生でいじめられているルパートという人と違うことからの孤独と生きていくことの辛さ。
ドノヴァンの方が生きづらさの深さでいくと辛いのだが、子どもであるルパートは辛さの粒度の違いはあれどドノヴァンのことが手に取るように理解できた。
だからこそこの2人は立場が違えど良い友人であった。悩んでいることは違えど本質が同じであれば年齢や職業など違っても人は痛みを分かち合い、分かり合える。
ただ、この伝えたかった主題とストーリーが上手く落とし込みなかった感が否めない。