津次郎

ガラスの動物園の津次郎のレビュー・感想・評価

ガラスの動物園(1987年製作の映画)
5.0
演技の優劣を、どうのこうのと言うことが多いが、意外に白黒のつかないことだと思う。主観に占められ、下手と思っても世間では好評だったり、その逆もある。

演技が上手いのか下手なのか、判断できない役回りも結構ある。出番が少なすぎたり、感情表現がない役柄は、わからない。

演技について、意識せずに見ていることがほとんどでもある。よっぽど下手でなければ目立たない。

俳優は一定の演技力を備えているはずで、考えてみると、演技賞というのも、なかなか酷な話だ。
演技力があっても大人しい役柄では目立ちにくく、また、佐藤二朗は誰もが好きなのに演技賞タイプではない──という俳優のスタイルからくる不文律もある。

感情表現のある役がチャンスだが、おいそれと巡ってくるものではないし、それを得るには実績が必要になる。が、実績を数分でつくった俳優もいる。

ジョンマルコヴィッチはロバートベントンのプレイスインザハート(1984)で盲を演じたが、脇役で出番も少ないのに、凄い演技だった。今で言うとアダムドライバーみたいに、名だたる映画人から一斉に声がかかった。スピルバーグ、ベルトルッチ、Sフリアーズ、ピーターイェーツ、ウォルフガングペーターゼン。自身がモチーフになった映画、マルコヴィッチの穴(1999)もつくられた。

常に演技力を必要とする役を任された。二十日鼠と人間(1992)はマルコヴィッチなくしては、成り立たなかったと思う。

寵児だった時代は過ぎたが、今もクレジットがあるだけで映画を見る。個人的にベストはこの映画だった。

普段は大人しい人が、激情を露呈するような役で光る。怒っているとき、声の調子が裏返る。抑揚に無類のリアリティが宿る。

映画も舞台風の前口上からはじまる。廃墟を訪れたトムが回想する。セントルイスの時代背景を話し、出奔して戻らない親父からきた唯一の手紙"Hello—Goodbye!" and no address. を紹介しておもむろに本編へ移る。

映画に感動して戯曲も読んだ。仕事に疲れ、毎晩母親と言い争っては飛び出し、夜通し映画を見る青年は、普遍性のあるRAGEだった。アマンダはグザヴィエドランが描く母親にも重なった。
所得のない母と不具なローラを捨て、父の足跡をたどり、永遠に奔走するトムには、癒えることのない良心の呵責がある。エピローグの独白、ローラそのキャンドルを消してくれに悔恨と慚愧とノスタルジーが集約され涙がこぼれた。

ポールニューマンの監督業は僅かで、ガラスの動物園とHarry & Son(1984)しか見ていない。いずれも昔レンタルVHSで見た。実直な人柄があらわれる、ロバートレッドフォードのような映画を撮る人だった。傑作だと思う。
津次郎

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