八木

リメンバー・ミーの八木のレビュー・感想・評価

リメンバー・ミー(2017年製作の映画)
3.3
 とても良く出来ている映画でした。が、テーマ的には自分と合うものではなかったです。好きな人が大勢いて当然の映画だろうなあと思うところです。こんだけ合わなさを感じていたとしても、合う人にはぜひ見に行ってほしいと思える良作なのが、ピクサーの品質であるとも思います。
 主題曲であるリメンバー・ミーが要所で流れ、聴かせるたびにその印象が変わっていく構成とか本当すばらしい。主人公が家族の存在を捉え直しながら成長して、「誰かに思われている」ということを「生き続ける」ことや、それ自体の強さに気づかされていくという話も自然に説得力を帯びていくし、ぼんやり見ていても胸にくる。
 あとまあ、今更何言ってんだって話かもしれませんが、CG表現の底知れなさですよ。デフォルメされていてすべてがかわいらしい世界観なのに、大人は大人として、子供は子供として、小物も動物も街並みも、そこにいるとしか思えない強烈なリアリティを持ってます。ミゲルが音楽の演奏を聴くときに、うっとりとにやけた表情になってるの、多分人間の役者で過不足なく表現するの難しいと思う。現実に起こりそうなこと、起こってほしいことが気持ちいい形で起こってくれるので、画面見ているときの気持ちよさがすごいです。終盤、ミゲルが水に放り込まれるシーンがあるんですけど、上がってきて赤いパーカーが水を含んで体にぺったり張りついてるのとか「絞ってやりたい」と観ていて思いました。もうこんなことになってんのな、CG。
 その上、「リメンバー・ミー」やら、南米のご機嫌でスイートな曲がいいところで流れまくるし、もう最高ですね。
 ミゲルは「チャンスをつかんで偉大なミュージシャンになる」という夢を持っていたわけですが、様々な経験を経て、ラストのような形になるのもまた感動的でした。
 じゃあどういうところが自分と合わなかったのかといいますと、「忘れ去られる」ということが、作品のテーマ的にネガティブである前提であることが、あんまり納得いかなかったんですよ。逆に言えば「誰かの思い出に生き続ける」ということがポジティブであるという前提もあんまり受け入れられなかった。僕らはそれぞれの文化のジャイアントが築いた礎の上を土足で歩いて手づかみで貪り食って屁こいて生きていると思うのですが、それぞれに位置する偉人の偉大な功績について思いを馳せる、と言われてもピンとこないんですよね。先人たちがみんながみんな、その後の人類の行く末を見据えてその文化を築いていったとは思えないし、それぞれ自分勝手に生きた結果の「現状の世界」のように自分は思うわけです。
 この映画の場合、「誰かの思い出に生き続けたい」という、僕らが墓参りに行く動機を別視点に移したようなものを可視化してるところがあって、それについて僕は「俺の勝手にさせろバカヤロウ、映画に言われる筋合いないわ」と、結構思ってしまったのでした。僕がそう思ってるだけね。映画を見終わって、よくできていることや、そういう形で話が収束していくことに文句はないものの「俺が生きていることが最優先だし、失敗も成功も基本的に俺のもんやからな」と思ったことも事実なのでした。
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