あーさん

溺れるナイフのあーさんのレビュー・感想・評価

溺れるナイフ(2016年製作の映画)
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キラッと光る次世代の女性監督作品。

原作、未読。
主役は神主の跡取りで地元では顔をきかせているコウ(菅田将暉)と東京でモデルの仕事をしていたけれど、親の実家にUターンしてきた夏芽(小松菜奈)。
二人は夏芽が転校してきた中学生の時、初めて出会う。

舞台の浮雲町は架空の場所?
ロケ地は和歌山県新宮市だけど、言葉は広島だったり関西も混じってる。いやぁ、関西出身で中国地方にも住んだことがあるから、めちゃくちゃ親近感がわいた!
特に男の子が良いな〜
菅田将暉に手を引っ張られて、"はよ、来いや"とか言われたい中学生の私(痛い妄想…)。

とにかく、惹かれ合うコウと夏芽が激しい!
二人とも繊細過ぎるが故、観ていてとても苦しくなる。
自分を捧げる、とかコウがいれば何もいらない、とか。突き放したり、求め合ったり。。(あのキスシーンは刺激的だったが!)

だが、情熱的でオシャレな恋愛映画かと思いきや後半重く、苦しい描写も。。

海とか山とか自然が沢山の描写も目に優しく、敢えて二人を引きで撮る画面も新鮮。海の中のシーン、火つけ祭りでのコウの踊りのシーンはダイナミックで演じるのも撮るのも大変だったろうな、と思わされる。
金髪の菅田将暉も日本人離れしたモデル体型の小松菜奈の一挙手一投足も美しく、監督に顔の角度まで細かく指示されたと何かで読んだ。

だけど、、ナイフみたいに尖った思春期の危うい少年、少女の心の痛みをダイレクトに感じるには自分はあまりにもそこから遠ざかり過ぎていて、そのままを受け止める感性が失われてしまっている気がして、、違う意味でちょっと切なくなった。
(そういう危惧もあり、若い頃一時ハマった"ベティ・ブルー"や"ポンヌフの恋人"なんかも再見できずにいる…)

10代で観ていたら、また違ったかな。

どうも夏芽の気持ちについていけない場面が多くて。。私は夏芽の気持ちより、コウの気持ちの方が共感できた。
とある事件以降、二人は距離を保つことになってしまうのだが、夏芽を守れなかったということが、自信満々で万能感に溢れていた彼にどれほどの暗い影を落としてしまったのかが痛いほどわかる。
夏芽はそれをわかっていたの?
自分がコウを好きだという気持ちが先走って、コウのことも心優しい同級生男子・大友のことも傷つけてしまってない?
でも、それが若さなのか。

少々気になったのが、音楽のチョイスや使い方。劇伴、歌詞がある歌が多くない?
うーん、タイミングも雰囲気も何かが違う感じなんだなぁ。
それは私の年齢のせい、監督(撮影時26歳)の個性も多々あるのかな。

全く期待してなかったけれど、心にズキューン!ときたのがコウの親友、大友役の重岡大毅。
実は彼、ジャニーズWESTらしいが、劇中では全くそういうオーラもなく笑、でも良い味出す子だな、と印象に残った。
夏芽の部屋にお見舞いに行くシーン、外でお弁当を食べるシーン、夏芽を悪く言う女子達に言い返すシーン、そして極め付けはカラオケのシーン。。
とにかく切ない、切ない、切ない!!
なんて健気!
方言のせいもあるけど、人の良さが滲み出ていて和むなぁ〜(関ジャニ♾の緩さに癒される私にはドンピシャだった!)。

恋人にはコウが良いけど、結婚するなら絶対、大友!!(誰も私に聞いてないですね、、ハイ…)


ネットで色々読んでいたら、ジョージ朝倉の原作では、コウは只の暴れん坊のようだけど実は頭が良く、自室に大量の近現代の思想家の本が置いてあり、作中でアルベール・カミュの「シーシュポスの神話」を読んでいる描写等もあったとのこと。
イメージが変わるなぁ。。
他にもラストが端折られていたりするようで、映画では色々と腑に落ちない所もあったので、原作の方も読んでみたくなった。

つくづく原作ものの映画化って難しいな、と。

通常、原作があるものは映画から入るのが好きだけれど、今作は原作→映画の方がいいのかもしれない。
あーさん

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