むぎたそ

ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそのむぎたそのレビュー・感想・評価

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ワイズマンで寝落ちしない方法ってあるのかなあ。いや、傑作なんだけどさ(ある程度以上の長さとリズムだとどうしても眠気ってものが発動するんだよなあ。いや、ホウ・シャオシェンとかエドワード・ヤンとかタルコフスキーの中で夢うつつになるの好きだし、山形でのエクスリブリスニューヨーク公共図書館での上映でもやっちまったからああまただって感じではあるんだけどさあ)

ホールだからしょうがないんだけど、上映時の明るさはちょっと気になったわ。。あと、後ろの席のサイズが大きい人が変なにおいを出して足を動かしまくって前の私の席をガタガタ蹴るのが長い上映の中でちょっと苦痛だった。


下北沢の再開発についてのトーク付きの試写会だった。大木雄高さん、坂田明さん、平野悠さん、松尾貴史さん、保坂展人さん、河野義家さん。「高円寺とかもだけど、サブカルが騒ぐと(元気出すと)家賃が上がってくる」「ブルックリンなんて怖くて行けなかったのにクリントンの事務所からバーッと再開発できれいに」「歌舞伎町がまさに、新宿のパワーなくなった」「今は新大久保が面白いよね、でもきっとこれから家賃上がってっちゃうな」

そっか、家賃安いといろいろな人がいるから面白いのか。

「ああ、でも、みんな、心の中では再開発を望んでるんだろうなあ、楽だから」

多様性、167の言語、あらゆる人種、あらゆる顔、あらゆるコミュニティ、それらをゆっくりと包むようなカメラの眼差し、ワイズマンのまなざしを感じるだけで、じわあと涙が出てくる。

「(中国人とかクルド人とかいっぱいの)蕨(ワラビスタン)の家賃も上がってるらしい、芝園団地とかね」

ジェントリフィケーション。(手作りの街が文化的にいいぞって感じになると高級マンションとかできてきて家賃が上がり貧乏人が住めなくなる。資本主義の宿命なのか、これは。)
BID。
それらとどう闘うか。

松尾貴史さんも言ってたけど、ふつうの人たちみんなが意見を言うありとあらゆるコミュニティの洪水に圧倒された(日本人は生まれ育ちや性質から意見言うの恥だからこういうのは厳しいだろうけども)。差別が蔓延る一方で成熟した社会だなあ、と。人種。文化。LGBTパレード。ありとあらゆるものが、「違う」のだ。その根本の理解なんだよなあ。

選挙、投票しないと「賛成」になってしまう。→「えっ!」ってのが印象的だったね。

あと、おばあちゃんの長生き話とか、お墓の話とか、LGBTの人たちがどのグループにも入れないというのも。

「マンハッタンが家賃上がり、ブルックリンとクイーンズは安かったのにね」

トークまあまあ面白いけど、女性を入れて欲しかったなあ。今の時代だからね。たぶん全体のトーン変わると思うから。
なんか、ちょっと、スピーカーのおじさんたち、から、日本に入ってくる外国人に対する排他的な感じ、感じちゃったんだけど。せっかくこういう映画を見てるのにさあ。なんなの?(下北沢のノリで、飲み屋で話す感じなのべつにいいけど、なんか言ってることがとにかく不愉快な感じ。。言うなれば、すごい「前時代的な」「古い意識」って感じ。やっぱり、前に進むしかなかった、経済的に上がるしかなかった、明るい時代を、楽しく経験した世代だから?やっぱりジェネレーションギャップあるよなあー。ぜったいこの人たち今の若い人たちの苦しみとかわかんないよ。)そりゃ、ジャクソンハイツの状況と下北沢への思いとか、全然違うからさ、無理に共通する感じでしゃべるの難しいでしょうけど。一応、リベラルというカテゴリに入る人たちでさえそうなのかー、残念だなー、とか思った。一般の日本人はもっとじゃん。。果たして日本人が多様性を認める日なんて来るのかな。歴史的な経緯やムラ社会的文化感からは無理なんですかね。。また暗い未来を感じてしまった。(私がシモキタへの愛とかあれば、共感できたんですかね?)
おじさんでなく女性とか右端の若い男性(とはいっても40とか言ってたから、もっと20代とかの若者の意見も)もっと聞きたかったね。
結果として「(権力)おじさん社会・日本」を象徴するトークだったわ。
あー、映画でなく、トークの感想になっちゃったわ。

映画自体は、よかったよ。

アグリーベティ、久しぶりに見たくなったなあ。確か、ヒスパニック系(メキシコ?)でクイーンズに家があるという設定だったような。

小規模事業者の仕事のサポートに尽力する市議会議員・ドロムさんの下北沢への動画メッセージがよかったね。
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