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ハッピーエンドのslowのネタバレレビュー・内容・結末

ハッピーエンド(2017年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

実感を伴わない死は死ではない。
少女が小さなフィルターを通して見る(見せる)世界は、どこまで他人事なのか。その心は救済を求めているのかもしれず、誰かの意見がなければ答えを出せないという一種の甘えなのかもしれない。また、構ってスタイルの変化とその危険性を強く感じる。駄々をこねたり、わざと怪我をしてみて気を引こうとする、というのは今や古典的な方法となった。過激な映像(情報)を見せることで同じ効果が得られることに、子供は気がついている(父親が過激なチャットに夢中になっていることも、その考えが間違いではないと思わせる一因)。そして、何より恐ろしいのがそこに痛みが伴わないこと。際限や感覚が無くなっていることが最も危険であり、目の前で起こっている出来事への関与の仕方が常識から大きく擦れてしまっている。時代とともに変化を続ける子供の甘え方や欲求の駆け引き。これ世の中が便利になればなるほど諸刃の剣となっているように思われ、大人はいつかその便利さに命を落とす、なんてことになり兼ねない。

一方で死が何たるかを知り死を渇望する老齢の男の行動も興味深い。彼は路上で若者たちに何やら話しかけていた。喧嘩でもふっかけて自らを殺させようとしてるのかとも思ったけれど、銃を持ってないか?と聞いていたのかもしれない。この感じは『隠された記憶』のようでもあり、観る人それぞれのイメージが求められる場面。そこで炙り出されるものが、観客側の人間性だったりする恐ろしさ。ハネケのこういうところがたまらない。

エヴとジョルジュの交流。これは様々な解釈がありそうだけれど、お互いに何かを教えようとか伝えたいとか、そういうものがあるわけではないのかもしれない。ただ2人のその年齢その時その瞬間の死生観が偶然合致し、あのラストに繋がっていったということなのかも。

SNSを使えば強気な発言も過激な性癖も吐き出せるのに、家族や知人を集めた場では何一つ本音を言わず言えず、建前と無関心を孕んだ優しさのみが虚しく交換されるばかり。もちろんこのどちらもが社会には必要であるが、そのバランスは非常に悪い。挙句、散々お荷物扱いされていた人物の言動が、皮肉にも一番人間味があったりもする。社会において使える人間とは、人間らしくない人なのかな。わからなくもないことが、何か辛く悲しい。

前作『愛、アムール』と、今作『ハッピーエンド』の間にエマニュエル・リヴァが亡くなってしまったことも、何か映画にひとつ重みを付加させている気がする。そして、この『ハッピーエンド』というタイトル。日本人はそのまま和製英語の意味で受け取ると思うのだけれど、原題の『happy end』では意味合いが違ってくるのではないか。もちろんハネケの皮肉とも受け取れるけれど。もしかしたら、幸せな結末ではなく、幸せの終わりを意味するのかもしれない。
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