現代の戦争を考えるシリーズ①
この映画をクロアチア・スロバニア・セルビアの合作で作り上げたことに、とても
とても価値があり、
映画を撮るということ、それを観てもらうということの、
エンタメを超えた社会的な意義みたいなチカラを感じる。
舞台は、アドリア海付近の村
クロアチア人の男性とセルビア人の女性の話。
1991年、2001年、2011年の3つの時代の男女を、同じ俳優が違うシュチュエーションで演じる、珍しい形のオムニバス映画です。
これを観た後に、ネットだけど、ユーゴスラビア内戦について調べてみた。(まじめでしょ😅)
クロアチア人は、今でも「ユーゴ内戦」と言われると気を悪くするという。
彼らにとっては、「クロアチア独立戦」なのだそうだ。
旧ユーゴスラビアをよく数字で表す。
「1つの国、2つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国、
7つの国境」
調べたことを書きたいけど、映画に戻ります😅
最初のチャプターは、1991年。
クロアチア人の男性とセルビア人の女性が恋に落ちる。
この民族紛争の難しさ、悲惨さは、
昨日まで普通に暮らしていた人々が、民族の違いだけでいがみ合い、殺し合うことになること。
映画でも、セルビア人の私設検問所が出てくるが、両民族が入り乱れて、昨日まで暮らしていた地域の、時代の悲劇を表している。
2001年、戦争は終結し、それぞれの民族は、元の土地に戻っていくのだが、、
セルビア人の帰還は遅れたそうだ。
戦争は終わったが、人々の心の傷は癒やされていない。
肉親が、他民族に殺され合っているからだ
2011年、終戦から時間が流れるが、
心の底のヒダは消えていない。一世代、次世代へと残っていく、、
2022年なのに、、、
この映画と同じ、いや、民族対立や祖国独立の理由さえない、
独裁者の悪き欲望の為に戦争が起きている
もちろん、1日も早く終息してほしいが、
戦争は、停戦されても、終わるものではないことをこの映画を観て、再認識した。
その傷は完全に癒されることはない。
そこに完全な救いはない。
だから、起こしてはならないのだ。
と、強く思う。