キャサリン

灼熱/灼熱の太陽のキャサリンのレビュー・感想・評価

灼熱/灼熱の太陽(2015年製作の映画)
4.1
クロアチア紛争の影響を受ける、ある小さな村で、1991年、2001年、2011年と全く異なる時代の全く異なる男女の愛を撮った映画。
時代は異なるけれど、どの時代も同じ俳優を使っていて、パラレルな世界のように思えるけれど、どの時代でも同じような葛藤があったという、並列的なストーリー。
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同じ俳優が、というより、
女はあくまで認識としての女であり、
認識としてのセルビアで、
男はあくまで認識としての男であり、
認識としてのクロアチア。
個人の愛憎ではなく民族全体をあの二人に落とし込むことによって、愛になぞらえることによって、二つの民族の悲劇を語っているような。
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田舎という、環境の変化の少ない場所だからこそ、人間の過ち=変化するものがわかりやすく浮かび上がっていて、だけど"人間"という存在も、土地に根ざす民族である以上、自然の一部で。
人間が自然の一部として普遍的であることを証明するものこそが愛だったんじゃ…って。
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でもみんなはじめはその愛に気付かない。
人間が寄ってたかって大きな"意識"を作り上げてしまうと、自然から脱線してしまう。
だからその大きな"意識"の混乱(=変化するもの)の内にいるとなかなか愛にたどり着けない。
愛に向き合った人間ががむしゃらに、ナチュラルに還る様子が印象的だった。
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映画自体は、全くの静寂の時、そのカットは普遍的なものを表していて、言葉を発しているカットはむしろ大きな"意識"による混乱が口をついて飛び出してしまっているような。
でも1991年のイヴァンがポロッと叫んだ「同じ人間なのに!」という言葉がさらっと流されてしまったのが一番惜しく感じたところ。
いい意味でね。

どれも心揺さぶられるけど、1991年はわかりやすくショッキングで思わず泣いてしまった!

同じ土地で育まれた二つの民族。国単位の戦争よりも"もう後戻りはできない"過ちのように感じたけど、
それでもいつかはきっと再び分かり合える日が来るのかもしれない。
そんなラストはとても胸がキュッとなる演出だった。
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