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ハラキリのshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

ハラキリ(1919年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

1919年の映画。
フリッツ・ラングが日本のことをどう見ていたか、サービス精神たっぷりに描いていると思う。ケチケチ感は皆無。きらびやかな衣装とか仏像とか、どうやって用意したのだろう。そもそもどこで撮影したのか。

ストーリーは終盤メロドラマ調で退屈であるが、視覚的(衣装、振る舞い、風俗)なエキセントリックさが我々を興奮させる。

20世紀の長崎にて、外国人仏教徒の大名トクヤマさん(父)とその娘オタケさんが、外国人嫌いのクソ坊主から睨まれていて、クソ坊主の陰謀で父トクヤマさんがハラキリすることになる。

父を失い、身寄りの無くなったオタケさんは尼僧になったり、吉原(長崎に吉原があった!あるわけない!)に身売りしたり、キャリアのジェットコースターを経験するが、高収入・高身長・高ステータスの3高を備えた海軍将校オラフ(長崎へ出張中)に見初められ、吉原脱出。

オラフと結婚の契りを交わし、子どもも授かる。「あたし、幸せの絶頂!」とオタケさんがプルプル震えていたら、何とオラフが欧州へ帰国することに。
「絶対長崎に帰って来てね!」と泣きながら、オラフを見送るオタケさん。ところがどっこい!このオラフ、長崎でオタケさんと結婚する前に欧州本国で他の女性とも結婚を既にしていた。要するにオタケさんは「火遊び」相手だった。妊娠までさせてんのに!

健気なオタケさんは案外紳士諸氏から人気があり、オラフが不在の間にマタハリ王子なる紳士からも求愛を受ける。
マタハリ王子と結ばれときゃいいのに、「あたしはオラフの妻なんです!そうに決まってるんです!」と頑固一徹で、最終的に父トクヤマさんと同様にハラキリして、おっ死んじまう。

タイトルの「ハラキリ」が序盤のトクヤマさん以降出て来ないので、「これ如何に?」と思っていると大ラストの結末でタイトルに納得。
何故、「切腹」ではなく「ハラキリ」と外国に広まったのか。

意地悪クソ坊主は外国人嫌いという設定であったが、「言うてるお前も外国人やんけ」と心の浜田雅功が顔を出した。

映画全体を通して、見よう見まねの日本的所作が登場するのが楽しい。正座の状態で深々と頭を下げる時も、畳についた両手が180度外に開いていたり(逆に辛そうだよ!)、正座から立ち上がるときも、よっこらっしょ!感がいなたい。あと、お辞儀するときに両手も一緒にペコリとさせる謎の動作が興味深かった。日本時代劇における俳優達の所作が如何に洗練されているかを思わされた。

オラフがオタケさんに愛を語るシーンで「日本女性には3つの美徳がある。…見ざる・言わざる・聞かざる。」と至極当然かつムーディーに発言し、言われたオタケさんも満更ではなく、見ざる・言わざる・聞かざるをしなやかな動作で表す。噴飯であったし、意味不明。

登場人物達の名前も楽しい。自分が見た本作では「トクヤマさん」だったはずだが、ネットを見ていると、「トクヤワさん」と書いてる人もいたりしたので、そういう字幕もあるのだろう。主役のオタケさんにしても、しょっぱなのオープニングクレジットで「O-Take-San」と紹介されていて、初め自分は「大竹さん?」とさまぁ~ずを思い浮かべた。オタケさんの下女は「ハナケ」と呼ばれていたが、恐らく「ハナコ」の変化球であろう。

オタケさんはハラキリする前に呟く。「恥辱にまみれて生きるより、誉れある死を選ぶ」
これは仏教というより、武士道であろう。

映画途中で「落葉の祭り」というお祭りシーンが登場する。川をおびただしい数の提灯で飾った小舟達がゆらゆら漂うのであるが、えもいわれぬ豊潤さに心奪われた。あんなお祭り本当にあったのだろうか。はたまた。
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