ずいぶん昔の子どもの頃の思い出。
家族で旅行していて、僕は列車の窓際の席に座っている。
車窓の風景をぼんやり見ながらその暖かさに既にうとうとしていた。
周りでは家族がお茶を出したり、お菓子を広げたりしている。
その声や音は聞こえるのだけれど、もう半分眠っていて、なんて言っているかはよくわからない。
でも、そんな家族の気配に包まれ、まどろみながら僕は知らないどこかに向かっていた。
この物語の登場人物たちは、それぞれ、
哀しいこと寂しいこと辛いことを抱えている。
不穏な影が付きまとい、これ以上彼らを苦しませないでと
願うことは一度ばかりではない。
でも、なぜか、心のどこかで穏やかでいられるのは、
何度も出てくるあの母のおとぎ話のおかげだと思う。
夜、子どもたちに語って聞かせるおとぎ話。
優しく、子どもたちの髪を撫でながら、肌に触れながら、
ささやくように、歌うように子どもたちに語りかける。
玉を転がす音か何かのように、心地よく安らかだ。
こんなに優しく郷愁に満ちた言葉を僕は知らない。
そして、海。
物語には様々な表情の海が登場する。
深い海、冷たく濃い青。空気の泡が銀色に光る。
そこから、暖かい陽の差す水面へゆっくり上がっていく。
きらめく水面に、大きな尾びれが踊る。
防波堤に打ち付ける激しい波。
波は暗い海の中まで広がり、まるで墨を流した水墨画のようだ。
浅瀬の緑を帯びた青、波打ち際の潮溜まりに取り残された小さな魚。
そして、母がおとぎ話で言った通り、魚は家に帰り、
永い永い別離の時は終わる。
今でも、あの列車の光景を思い出す。
夢なのか現実なのか曖昧だ。
でも、それが一番幸せな記憶のひとつであることに気づいた僕は、
ちょっとだけ泣いた。
「あなたを、想う。」アップリンク吉祥寺20200102