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マジカル・ガールのMTMYのレビュー・感想・評価

マジカル・ガール(2014年製作の映画)
3.6
自分が戦うことで周囲を自然と巻き込んでしまう少女たち。
本当の幸福とは、お金で買えたりもするし、買えなかったりもする。歪で不器用かもしれないけれど、ただひたすらに真っ当なものでもある。
正直そんなの人それぞれで、それを全て理解し合おうなんて、難しい話なんじゃないか。
だから単に、渡されたものを容易に受け取ってしまうのは、それは、本物とは言い難い。
マジカルに叶う先の愛を愛と呼びたい。


2つの話が交わりだす途中からラストまで展開が意外過ぎて、
「?!」ってなったし、整理がいろいろ難しい映画だった…

マジカル・ガールとは、少女アリシアかバルバラかというところもある。
最初はアリシアのことかと思ってたけど、
だんだんとあやしくなってきて、
しまいには
「”マジカル・ガール”という”愛のかたち”」
とかいう超抽象的な結論に至りました。
愛とは魔法のようなものでもあるけれど、一筋縄では解けない深みや繊細さがある。それを一方的に、乱暴に、またはお金で解決しようとしたり、扱ったりしたら、それは破綻するものだよと、
そんな感じに言われているような感じです。


<メモ>
・アリシア
白血病の女の子
タバコとジントニックを経験したいと頼む
願い事は三つあり、二つめは魔法少女ゆきこのドレスとステッキ、三つめは13才になること。
本当はお父さんと一緒にいるのがいちばんの幸せ
(大切なものはお金じゃない、子どもらしい純粋さ)

・アリシアのお父さん
娘の望むことを叶えてあげたい父親
ゆきこのドレスを手に入れることが、自分がアリシアにできる最上のプレゼントだと思っている。
(自然とお金をかけたほうが価値があると思い込みがちなオトナの感覚、お金が解決できるという感覚、消えてしまった無垢な感覚)

・バルバラ
共感性がかけたり、薬を処方されていたり、やたらと手のかかりそうな女性。
真相はわからないが、闇を抱えてるため現夫に拾われたとも考えられるし、
もしかしたらその夫からなにかしらのアブノーマルな扱い(DV的?)を受けている(から変わってしまった)ともみてとれる。
自分のために生きておらず、常に他人の顔色や行動に翻弄されて人生を生きているような女。
そんな彼女が、図らずも起こしてしまった悲劇。
彼女は他人のために動いていたと見えて、実は周囲を動かしていたのだ。
気の置けない存在になってみたり、小児愛者になるきっかけを与えてしまったり。彼女は悪くないはずなのに、周りがそうなっていくことで翻弄されていく。
そして直接手を下さなくても起こってしまった負の連鎖。しかしそのために犠牲になった自分自身。
彼女は身勝手な大人たちによってそうならざるを得なくなった犠牲者の象徴のようでもある。
下手すればウィッチ(魔女)、しかしあくまでも彼女かマジカルガールでいられるその理由は、
大人であるべき彼女の、汚れていない”無垢そう”な”ひたむき”な姿勢にあるのではないか。
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