キルスティン

マジカル・ガールのキルスティンのレビュー・感想・評価

マジカル・ガール(2014年製作の映画)
4.8
今作、しゃべりますよ。
お時間、興味ある方はお付き合いくださいませ。

スペインの新鋭監督カルロス・ベルムト劇場長編デビュー作。

題名とピンキーなジャケカラーに"まぁ暇なときに観て感"が漂よっており、気になりつつ後回しにしていた作品。
ただ、宇多丸師匠がシネマハスラーにてベタ褒めしていることを最近知ったため、暇なときにではなく優先的に鑑賞してみた。

スペインで公開されるやいなや各映画賞を総なめにした「マジカル・ガール」。
映画を鑑賞する際、テーマが普遍的なものであっても、その映画に対する印象やメガネの度数(観やすさ)は観客が何人(なにじん)であるかが多少影響してくるものだと思う。(全部が全部じゃないけど)
そういった意味で、観客としてこれほどまでに日本人で良かったと思えた映画は今だかつてない。それはテーマが普遍的であるからこそ余計に感じる。
世界で平等に観られる映画を、一番良い席で観られたという優越感。

日本のカルチャーを愛しリスペクトする、超日本通のカルロス・ベルムト監督。インタビューとかで"ちあきなおみ"というワードが出たりするほどほんまに通な人です。
今作は「魔法少女まどか☆マギカ」「美少女戦士セーラームーン」などのアニメからの影響や江戸川乱歩原作・丸山明宏(現:美輪明宏)主演、深作欣二監督映画「黒蜥蜴」といった日本文化へのオマージュ。
「マジカル・ガール」を語る上で欠かせないのはやはり挿入歌でしょう。
作中、突如として鳴り出す長山洋子デビュー曲「春はSA・RA・SA・RA」にのせて、短髪で痩せ細った見るからに病人のアリシアちゃんが鏡の前で踊り出します。
「魔法少女ユキコ」(日本の架空のアニメ)に憧れているアリシアちゃん。
私はアニメに疎く、魔法少女シリーズも全く知らないため、「魔法少女ユキコ」が架空のアニメであっても、実在する魔法少女シリーズ的に長山洋子の曲は何か縁か所縁があるのか?と疑問が沸いた。今作のモデルになった「魔法少女まどか☆マギカ」は現代のアニメ…長山洋子デビュー曲「春はSA・RA・SA・RA」は1984年もの…どこに接点が?と、色々なサイトの監督インタビューを読んでみましたが、それは単に監督のセンスでした。以下監督談↓
〈スペイン人の作曲に日本人がボーカルというオリジナル曲も考えましたが、リアリティーのない曲になってしまう怖さもあって断念しました。「春は…」は80年〜90年代のアイドル曲をYouTubeで探して出会った曲。"アニメシリーズの曲にふさわしい!と」

すごくないですか?この選曲センス。

現代の日本のアニメっぽい曲っていくらでもリストがあると思うのですが、アニメ関係なければ時代も違う曲を持ってくるという。
や、でも、私さっきセンスって言いましたけど、カルロス監督としては単に日本の曲から"っぽい曲"を選んだだけかもしれないです。(それはそれで何故その時代をチョイスしたか不明)
それがたまたま80年代長山洋子だったのかもしれない。
が、この選曲が、これ以外ないくらい映画にハマっている。
"アリシアちゃんが憧れている日本のアニメ"は、今作にとっては付属品でしかない。それこそ監督自身がハマっているものであって、物語の進行上、日本のアニメである必要はない。
しかし、「マジカル・ガール」という作品が放つ(恐らく監督が放たせたい)色を、より気色悪く、よりおどろおどろしく、よりブラックに際立たせているのは、"日本の少女アニメ"という要素だと思う。
例えば、日本の監督が同じようなテーマで外国を舞台に外国人キャストで映画を制作したとしても、きっと長山洋子の「春は…」は選曲しないだろう。
又、カルロス監督が現代の正に日本のアニメっぽい曲を使用したとしたら所詮マニアの世界観として私はここまで作品に価値を置かなかったかもしれない。
そう思うと、この映画はなんたる産物だ!!と感動すらする。この感動こそが日本人観客という特等席でしかで味わえないものだと思う(私だけ?)(ほんで、間違えてものりぴーの曲でなくってよかったわ。ある意味有りにできるパターンもあるけども。)

そして、もうひとつの評価ポイントとして、日本リスペクトのカルロス監督であるが、鑑賞後、カルロス監督インタビューを拝見すると「…私はその〈まどか☆マギカ〉のダークな部分からインスピレーションを受け、ただ真似をしたのではなく、自分の考えていたイメージと合致させて『マジカル・ガール』に落とし込んでいます。…」と語っている通り、作品自体、日本のアニメに影響されっぱなしになっていない。あくまでアリシアちゃんの憧れ設定は付属品であって、そこにはきちんとカルロス監督の独自性が存在している。映画を観れば一目瞭然だが、そんなカルロス監督の姿勢に、流行りに便乗したような商業的な"にわか"ではなく真の日本リスペクトと日本文化に対する敬意が感じられ、本当に気持ちの良い作品になっている。

今作に関して、宇多丸師匠が「ストーリーの先が読めないという点では、近年、僕がいろいろ観た映画の中でも間違いなくトップクラスですね!」と述べているように、本当に先が読めないストーリー展開だ。サスペンスというジャンルでもあるからして、先が読める読めないは重要ポイントであるが、読めないだけではなく、ラスト15分、もう読むこと我まで忘れてただただ起こる展開を凝視。
ラスト、ある人がある所に侵入した際、いきなりアレが流れてあの人があんな感じで佇んでいるあのシーンは個人的映画史に残る名シーン。巻き戻し巻き戻しで何回も観てしまった。中毒性強。

カルロス監督作品の特徴として、見せない手法と語らない手法が上げられる。
監督は「"ミステリーのままにしておくこと"の大事さはエヴァンゲリオンで学んだ。」と言っています。
見せない手法語らない手法は時として"逃げ"、"投げっぱなし"、"観客に委ね過ぎ"、"実は何もない"、"監督のエゴ"とも捉えかねない手法であるが、カルロス監督作品の場合、見せない語らないが決して"いじわる"に感じない。全く不愉快でない。自然なのだ。それはミステリアスの中に、見せるポイント、見せる場合の角度(カメラワーク)を押さえ、又、見せないことの必要性が十二分に感じられ、語られないことで観客は想像力を働かせより効果的に作品を楽しむことができるという、娯楽提供者として最高に親切であり、一切無駄のない作風である。

上映時間127分。長さは感じない。(チャッピーの2時間と大違い)むしろ、あとプラス一時間あっても楽しめた。

所々ツッコミ要所もありマイナス0.2だが、今後の監督作品への期待度は満点の5!!
未見の方、せっかく日本人ならオススメです‼️
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