イワシ

我らが門の内にてのイワシのレビュー・感想・評価

我らが門の内にて(1920年製作の映画)
5.0
超面白かった!オスカー・ミショーの『國民の創生』に対するアンサーとも言われる今作は、様々な社会階層の黒人が登場し、黒人に対するステレオタイプを打破するだけでなく、白人達の黒人へのスタンスの違いも明確に描き分ける。しかし同時に、白人に頼らざるをえない社会的弱者としての黒人という面も炙り出しており、グリフィスの『國民の創生』の内容(技法でなく)がいかに時代錯誤のものだったのだと実感できる。『我らが門の内にて』(Within Our Gates)は一貫して教育についてが物語の焦点になっている。南部の学校の支援を決めた白人の婦人に、友人が反対するのだが婦人は意思を変えない。ここにはオスカー・ミショーの明確なメッセージがあるとともに、教育を受けれるかどうかの決定権も白人に委ねなければならないという諦観も漂う。

イヴリン・プリーア扮するシルヴィアの過去が、本編にスピンオフドラマを接続するかのように回想されるのにはたまげた。彼女の養父母のリンチとシルヴィアが白人男性に強姦される様子がクロスカッティングで並列されるも、ひとつのシークェンスとして統合されずにそれぞれが結末してしまう。
加藤幹郎は著者『映画とは何か 映画学講義』において、「並行編集は正しく使用されさえすれば、いついかなるときでも万人に正しい意味(勧善懲悪)と効果(普遍的秩序)をあたえる映像言語とみなされる。しかるにオスカー・ミショーの名が検討はれねばならないのは、まさにこの点においてである。ミショー映画においては、こうした支配的言説(正統的映画史)に地殻変動が生ずるのであり、それこそグリフィス以降の映画史家たちが長らく記述しそこねてきたものだからである。」(p238)と語っており、事実『我らが門の内にて』の回想シーンにおいては、勧善懲悪も普遍的秩序も存在しない。
リンチと原因となるシルヴィアの養父による裕福な白人の誤射事故は、そもそも別の貧乏白人が犯人であり、養父も目撃者も誤解したまま事態は進行していく。結局、誤解は解けず、犯人に裁きも与えられないままシルヴィアの養父母はリンチの犠牲になってしまうのだが、白人達のリンチを煽るかのように挿入される新聞記事による字幕処理が凄い。この字幕によって、単なる事故が野蛮な黒人による殺人事件に変貌してしまう。まるで、加害者によるリンチを正当化する心のメカニズムを見せられたのよう。ゾッとする。
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