湯っ子

さざなみの湯っ子のレビュー・感想・評価

さざなみ(2015年製作の映画)
3.8
彼女は瞳の色あいや、微かな眉をひそめ方や、唇のはしをゆがめ方で、彼に伝えようとしている、でも彼はいっこうに気づかない。
きっとこの45年のあいだにも、彼は亡くした恋人やあったはずの人生について、忘れていた時間のほうが長かったに違いないのに、彼女にはそう思えない。
「秘密は墓場まで」っていう言葉があるけど、突然の知らせに動揺してつい秘密を漏らしてしまったのは、やっぱり老化現象でしょうね。でも、若き日の恋に思いを馳せる夫も、そんな夫に嫉妬心を燃やす妻も、なんて生々しく男と女なんでしょう。ラストのダンスシーンのシャーロット・ランプリングの表情はお見事としか言いようがないし、彼女でなければ成り立たない映画。

正直、私にはあまりピンとこなかったな。この年齢でこれだけ過去の恋に揺り動かされるふたりなら、この45年間の中にもいろいろあったような気がする。結婚相手が恋愛の相手と同じなんて、これはこれでひとつの夫婦のかたちってことで。こんな出来事を繰り返してまた忘れて、このあともこの人生と結婚は続いていくんじゃないのかしらと思いました。


<2022.5.26追記>
このあともなんとなくモヤモヤとこの映画のことを考えていて、別のストーリーを思いつきました。原作はデイヴィッド・コンスタンティンという作家の短編小説だとか。

昔の恋人の遺体がみつかった知らせを受けた夫は、スイスの山へ登って彼女を確認したいと言い出す→「その歳で冬山に登るなんて危険すぎる。やめて欲しい」→「どうしてもひと目彼女に会いたい」→しばらく押し問答→しびれを切らした妻「だったら私も一緒に行く!もうパーティなんかどうでもいい!」→老夫婦はスイスへ。その道中、シャーロット様の顔芸をふんだんに描写、夫婦のダンスシーン、夫の思い出話、ひさしぶりの性行為もここで描写→いざ登山の申請をしようとするが、ここで山岳ガイドの登場。イメージはスリー・ビルボードの時のフランシス・マクドーマンド。高圧的に見えるが、山への敬意と畏怖を持つプロフェッショナル。危険すぎる、と老夫婦を諌めようとするも、夫の懇願と、シャーロット様の顔芸でその意志の強さにしぶしぶ引き受ける→登山はやはりたいへんに過酷であり、ヨロヨロになりながら進む老夫婦。そこへ急な気候変動により、彼らは危険な状況に→あわや!妻が間一髪、昔の恋人のように滑落しそうになる→感情が溢れ出し、「悪かった。僕が一番大切で、一番愛しているのは君だ!」と慟哭する夫→フランシス・マクドーマンド的ガイド「下山するわよ!」→場面は変わって、帰路につく老夫婦。空港までの車の中で、並んで座るふたり。夫、そっと妻の手を握る。目が合い、微笑み合うふたり。その後、お互いに車窓へ視線を移す。夫は満ち足りた表情。ここでシャーロット様の、いったい何を思っているの?な顔芸炸裂。観客を煙に撒き、映画は終わる。雪山のイメージが強くなりすぎて、せっかくの素敵な邦題「さざなみ」っぽくなくなっちゃうのが残念。
また追記→車に乗り込む前に、彼女の死を悼み、花を供えるシーンも欲しいな。ガイドに託す?←ガイドもこの夫婦にちょっと感情移入しちゃうから。あ〜考えるとキリがないな!
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