享楽

ジョン・ウィック:チャプター2の享楽のレビュー・感想・評価

5.0
前作のアクション性や独自のスペクタクルの面白味は踏襲し、アメリカ〜ロシア+コンチネンタルホテルの世界観をローマにまで拡張することによって、1ではあまり強く見られなかった1におけるコンチネンタル外のある種の世界の掟がジョンという超人に何らかの強制力をかけている…またそこから彼が逃れられないという運命をまた1と同様に感じるものがある。1が復讐劇にカテゴライズされるとして、2は自身の運命…つまり押された烙印からは逃れられない、運命は運命であるという悲劇にカテゴライズされるだろう。
1も含めた今作のアクション映画としての魅力は、観客にギリギリまで現実性を与える…いや、非現実性をそれがあたかも現実であるように見方を転覆させるところにあると思っている。
端的に言って、コンチネンタルホテルの世界観は奇妙というか、まず多くのプロフェッショナルたる複数の殺し屋がジョンを何故か殺せないという非現実性がある。
しかし1にも2にも共通してその非現実性をいつの間にか無化(無効)にしてしまう効力のあるシーンが見られる。それは、1においてはブルックリン(ロスだったか?)に逃亡したヨセフの弟子がガンシューティングゲームに夢中になっているときにジョンにガンシューティングされて射殺されるシーンであり、2においてはそれが冒頭で見られるのだが、鳥瞰した夜景から高層ビルの壁面に映る映像シーンからシームレスに現実へと移行するのがその象徴だ。つまり、映画という虚構内(非現実性)において更に虚構(虚構内虚構)を作り上げることによって、観客側が映画の虚構性を現実レベルであるかのように(それが自覚あるか無自覚かは措くとして)捉えられるところに面白さがある。ちなみにこの文脈の意味からして、「マトリックス」のネオが赤い錠剤を飲んだ後現れる世界に対して観客側がそれさ非現実的だとツッコむことはないだろう。そのような現実性の基盤が転覆するところが面白いのではなかろうか。
それからガン・フーからカー・フーへという流れを製作陣側は強調したいかのように(パンフを見る限り)感じられたが、此方は特に目新しさは無かった(その凄さに対しての感動は勿論失われたわけではない)
目新しさで言えば、アート性やスペクタクルのパフォーマンス性をアクションシーンに盛り込んだところにあり、前者ではイリュージョン・アート展「魂の反映」の中でのガン・ファイト、後者では街中大衆内における細々とした動きが魅力的である。
1のデイジー(=今は亡き元妻)はあっという間に彼の元を去っていったが、2の名無しの犬(=ジョン・ウィック彼自身)は最後までジョンの元に残った。彼は彼一人としか付き合えないという哀しい運命を示唆しているかのようなその後、彼(彼ら)は何処へ走っていったのだろうか…
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