ベルサイユ製麺

真白の恋のベルサイユ製麺のレビュー・感想・評価

真白の恋(2015年製作の映画)
4.2
ああー。あっあー。ううう…。

富山の長閑な街で両親と暮らす女性、真白。無防備な表情や短い文節だけの喋り方はまるで子供の様で、ある種のチャーミングさに満ちています。
真白はある日、東京からやって来たカメラマンの男、油井に出会います。彼は物腰が柔らかく、誠実そうで、優しくて。何度かの偶然の再会を経て、真白の心は次第に油井に惹かれる様になっていきました。真白の初めての恋。

とても丁寧に撮られた映画という印象です。どのシーンも富山の風景の素朴な良さが自然に落とし込まれていて、ボンヤリ見ているだけで幸せな気持ちになります。余程念入りにロケーションに当たったのではないでしょうか。人物造形に深みがあり且つナチュラルで、皆さんが役者で有ることを忘れてしまいそうになります。(自分は不勉強で、長谷川初範さん以外の役者さんはほぼ初見でした。)劇伴、ちょっと近年聴いた覚えがないくらいに素直(素朴)です。とても好感を抱きました。
魅力的すぎる街の景観や雪景色。強い実在感の登場人物。脚本はとにかく繊細で正攻法。彼等がこの町でただ歩いているだけでその営み全てが愛おしく思えて来ます。個人的には、いわゆる日常系と呼ばれる漫画群にも似たテイストを感じました。
女性が、男性と出会い、惹かれる。ただ、それは激しい愛の物語とかでは無くて、淡い恋の物語で、すんなりと結ばれるハッピーなお話とかではありません。低いが分厚い、或いは薄くても破り難い壁が立ち塞がります。

真白は知的障害があるのです。軽度ではあるものの、確かにそれと分かる雰囲気が漂っていて、子供の様なイノセンスはここからきています。

うーん、と考え込んでしまう…。障害について、自分の態度を決めるのは本当に難しい。それがフィクションとなると尚更分からなくなる。
知的障害を持つという設定は絶対に必要なのか?(障害との認定が必要だったのか?)
知的、でないと駄目だったのか?
外見が可愛い必要はあるのか?
障がいの程度を物語の都合の良い様に設定してはしまっていないか?
…この辺りの事柄が自然に心の中で大きなノイズになって、フラットに作品に触れられなくなる。「そんな作品、山程有るだろう」と言われるとその通りで、その度に自分は「ああー、あっあー、ううう…」と唸っています。

凄く近しい知人に精神の障害を患ってしまった方がいます。以前は誰もが下を巻く切れ者だったその方は、ある時期を境に入退院を繰り返すようになり、今は狭い部屋で毎日テレビを見たり、熱帯魚に餌をやったりして、努めて大人しく、感情が波立たないように暮らしているように見えます。かつてはまるで脳が繋がってるんじゃないかと思う位に、同じ物を見て笑い、同じ絵を眺めて感動していたのに、今は、その人が何を見て、何を考えているのかよく分からない。なにより自分がその人を見て、どう感じているのか、分からない。確かなことなんてホントに何も無い。残念だけど、それだけは確かだ。

製作者の方々は間違いなく誠実で、表現者としての深い葛藤を乗り越え、試行錯誤した上での作品のバランスになっているのだと思うのですが、やっぱり自分はまだそこと上手く向き合う事が出来ませんでした。…でも、現状でもスコアは余裕でこのくらい有るのだ!と言いたい。とにかく心は揺さぶられた。
個人的には、終わり方にとても救われました。フィクションなんだから、心地良い着地の方が良い、なんて事は無いと思います。やはり誠実。
埋もれて欲しく無い。出来るだけ多くの人に観てもらいたい作品です。どんな気持ちになるとしても必ず意味が有る。
個人的に取り分け気になり、意見を聞いてみたいのは(馬鹿みたいに浅薄かつ、物語の本質とは関係無いように感じられるでしょうが)、真白のキャラクターに好感を抱くか否か、です。自分は「わはは、チャーミング!」ぐらいの印象だったのだけど、人によっては「天使!」だったりしそうだし、逆に「気持ち悪い…」だったりするのかな?と。それによって物語に抱く印象は大きく変わりそうな気がします。

真白のモコモコで色の溢れかえったコーディネートは凄く刺激を受けました。真似しよ!!