なりきりまきせ

彷徨える河のなりきりまきせのレビュー・感想・評価

彷徨える河(2015年製作の映画)
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マルクスが批判する「文明の荒波に疲れた者が、週末の風呂で一服し、再び文明の荒波に乗り出すが如き営み」と、シーロ・ゲーラ監督がカラマカテを通じて推奨する「原型の夢を見ながら文明を生きる営み」の間に、どんな区別の線を引けるのか。
この映画を文明以前への回帰を唱えるものだと理解すれば、我々は前者に与したことになる。そうなればテクノロジー礼賛主義にも道が通じる。だが、そうした理解を、この映画自体が「カスタネダ以来の伝統に則って」否定する。理由を考えるのが我々の務めだ。
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