もっちゃん

牡蠣工場のもっちゃんのレビュー・感想・評価

牡蠣工場(2015年製作の映画)
4.2
何気なく口にする食べ物(今回の場合は牡蠣)に密着し、深く深く掘り下げていくと労働形態、社会問題、はたまたグローバル化の中での出稼ぎ移民問題が浮かび上がる。「粘り強く取材すると見えてくる」というジャーナリズム、もしくは社会調査的要素が強い作品。

今作には日本人の「中国観」の全てが込められている。出稼ぎ労働者として、言葉も分からないままに牛窓の牡蠣工場に派遣された(ここの仕組みがイマイチ分からないが、斡旋業者みたいなものがいるようだ)中国人たち。そしてそれを受け入れる日本人たち。

中国人の立場からすると、日本での収入のほうがたとえ一次産業だとしても多いから必死の覚悟で越境する(ここでどういう事情があるかは言及されていないけれども)。

また日本人の中では様々な立場が存在する。中国人は「何をしでかすか分からない異人」として冷たく言い放つ人もいれば、「日本人の常識が通用しない」と軽くあしらう人、つまり否定的な意見を持つ人もいる。はたまた今作の中心的人物である旦那は自らが宮城から越境者ということもあって、理解を示そうとする。

急速にグローバル化する中で恐らく起こるであろう人間の反応が今作では上手にすくわれている。あの反応はそのまま日本人が持っている「中国観」であり、もしかしたら拡大して考えると「外国観」ともいえるのかもしれない。

ではなぜ、そこまでして外国人労働者に頼らなければならないかということを突き詰めると日本の労働問題に行き当たる。作中でも言及されているように、若い人材(特に能力、意欲のある人材)はみな一次産業には就かない。産業の空洞化が起こり、その中で一次産業に行き当たるような人には本当に仕事をしたいという人は少ないと嘆いていた。それならば、必死で稼ごうとする外国人労働者のほうが良い労働力となるというわけだ。

そう考えると、問題は牛窓だけに限ったことではなくなるだろう。なぜならそういった後継者不足に悩む産業(いわゆる「3K」と言われ、敬遠される)は他にも数多くあるからだ。そしてそれらは我々の身近にあるが(というか身近にあるがゆえに)、得てしてスポットが当たることないのだ。

長期的なスパンで考えるならば、外国人労働移民を排斥し疎外するよりも積極的に取り込んで包摂していったほうが後々のメリットは計り知れないだろう。そのためには労働教育制度の完備、福祉の充実、そしてそもそも労働問題の構造上の改革を進めていかなければならないことが分かってくる。

そして、それは延長すれば移民問題にも繋がるわけだ。日本は移民に対して消極的な国として有名であるが、その問題の根底にあるのは「無理解」と「想像力のなさ」だと思う。自らの居所を失い、流浪することに対して具体的なイメージが湧きにくいのだ。そこで「マイノリティ」として生きることの辛さが想像できない、ゆえに無自覚に理解の限界に行き当たる。

しかし、作中で言及されている通り今の時勢として「いつ、何が起こるかは分からない」のだ。突然、災害によって漂流民となってしまうことも大いにあり得る(今作のマスコット的キャラの「シロちゃん」はそんな漂流民を表す一つのメタファーになっているようにも思う)。そう思えば、もう少し違う視座で物事を考えたり、共感の範囲を広げることが必要だろう。そういった意味では「観察映画」は大きな可能性を持った試みであると思う。