享楽

ふきげんな過去の享楽のレビュー・感想・評価

ふきげんな過去(2016年製作の映画)
4.7
鑑賞後に面白く感じたかそうでなかったか極端に分断されるタイプの作品で、というのも何がそれを分断するのかというと今作の双極性すなわち事象的現象…平たく言えば実際に即物的に起こっていることは極めて凡庸で退屈だが、映し方や物語の展開描写といったものは、そこにあるある種のリアリティーを叙事的に映画として巧く反映させられている…つまらない日常を面白く撮るということで言えば圧倒的勝利を得ているところにその由来を見て取った。
言わずもがな今作には哲学者が主に3人現れていて、楽観的自由主義者のミキコ(小泉今日子)と厭世的決定論者のカコ(二階堂ふみ)と生粋の哲学者的哲学者であり世界に対して絶えず疑問を発し続けるカホ(山田望叶)がそれに当たるが、この三者関係にはある種の二重の親子関係がその間から見られる、つまりミキコとカコは実際の血縁的親子だが、どうもミキコの過去からはカコの過去を想起させる会話劇が展開される(ミキコがカコに向かって発する「私もあなたみたいな感じで、”だから”街を出たのよ」というような発言が象徴的だ)し、このミキコ(親)-カコ(子)の流れからはある意味カコ(親)-カホ(子)という関係性を感じ取れないだろうか。カコがミキコのような生をおくるようになるかは疑問(ところで、常態的に不機嫌なカコがパァっと驚きの表情を放ったシーンが私の記憶が正しければ2〜3回あり、それが日常的退屈からの一瞬の解放とは言え、その現象の魅力は今後彼女を捉えて離さないこととなるだろうが、果たしてその彼女に豆居酒屋の実家の稼業を継ぐ忍耐があるだろうか)だが、少なくともカホはカコぐらいの歳になると、彼女もまた厭世的決定論者となり、現世的な魅力を放つものの虜となっている姉に半ばアンビバレンツな感情(嫉妬という名の羨望…だが彼女自身は内なるそれを否認するだろう…と俗物的なものを嫌う軽蔑と…であろうか)を抱いた厭世的決定論者となり、慢性的に不機嫌なカホとなりそうだと思った次第である。アイスの棒からタバコへ。
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