ケンシューイ

ふきげんな過去のケンシューイのレビュー・感想・評価

ふきげんな過去(2016年製作の映画)
3.5
クセがすごいんじゃ

『横道世之介』の脚本家・前田司郎さんが監督した一癖も二癖もある怪作。主演に小泉今日子&二階堂ふみを置いて、板尾創路が脇にかまえ、シティボーイズの御三方も揃って友情出演となれば、これはもう一筋縄ではいかんぞという空気が漂う。そんな予感が覆されることもなく、なかなかに不思議な世界観で繰り広げられるお話しだった。

高校生の果子(カコ)がやたらと不機嫌なのです。ちょっぴり変てこりんな世の中で、納得のいかないことや疑問に思うことも解消されないまま、彼女はただただ不機嫌に毎日を過ごしている。家業の蕎麦屋はいつの間にか豆料理屋に変わってしまったのだという。そして生まれたての赤ん坊にはまだ名前が無い。そんなところへ死んだはずの叔母・未来子が突然、家に帰ってきた。停滞していた一家の中に、調和を乱すファクターが登場したことによって、物語はようやく動き始めることとなる。

傘、豆、アイス、煙草、眼鏡、ワニ、爆弾、運河、舟、犬の糞、ガムテープ etc。いろいろなモノが意味深に、意味不明にストーリーに絡み付いてきて、しかもそれらすべてが死を連想させながらやってくる。
結局のところコレは一体何だったのか?という疑問は多かった。一つ一つに繋がりがあったような無かったような。たぶん監督の頭の中でやりたいことは盛りだくさんにあって、それを具現化しようとすればするほどこちらは置いてけぼりにという感じだったのかなと。

過去は変えられないし、消せもしない。だけど認識を改めることはできる。過去は過去で、未来は自分次第。ふきげんな過去からごきげんな未来へ。そんなところでしょうか。

子供の頃に不思議に思っていたあれこれは、大人になってみたら何だそんなつまらないことだったのかと気づかされたりもする。そんな小さな壁であっても案外つまづいてしまっていたりするもの。だから未来へと進む鍵は意外と手の届くところにあって、その扉は呆気なく開かれるものなのかもしれない。むしろその扉に鍵はかかっていないのに、ただ閉ざされていると思い込んでいただけなのかもしれない。そんなふうにしてこの映画には良かれ悪かれとりあえず前に進むための、開くことのできる扉は確かにあった。

これ、もう少しわかりやすさがあったら面白そうな気はする話しだった。