作品で直接的に3.11のことは触れないけれど、被災者の語りを彷彿させるような言葉が散らばっていた。
例えば、七海が急かされるように家を出された結果、迷子になり、安室に電話で助けを求める時のセリフ
自分が今どこにいるか
わからないんですけど。
わたしどこにいけばいいですか。
わたし帰るところがなくて。
人との繋がりが薄いため容易に孤立し、自力で社会を生き抜くにはあまりにもか弱い七海らしさが出ている。しかし想像もできなかった急な展開に気が動転してパニックになっている七海の姿を見ると、フィクションのように思えなかった。
真白が、ベッドで泣きながら七海に告白する言葉にも、リアルが紛れ込んだような深みがあった。
そんな簡単に優しさが
手に入ったら壊れる。
人の真心とか優しさとか
あんまりそんなはっきりこっきり
見えちゃったら
有り難くて有り難くて
みんな壊れちゃうよ。
だから皆お金に置き換えて
そんなの観なかったことにする。
だから優しいんだよこの世界は。
震災後、被災地には多数のボランティアが応援に駆けつけた。もちろん草の根の助け合いの精神が彼らの生活を救ったことは自明のことだ。
しかし、私が被災者の悩みを聞く中で印象深かったことがある。それは、日常生活ではお金を媒介に互酬的な関係を築けていたのに、被災者になって人の優しさ受け取るばかりで、何も返せないことが惨めに感じるという悩みだった。返さなくてはという義務感だけが積み重なって、苦しくなるのが真白と似ている。
”私なんか”、七海と真白に共通する枕詞だ。自信を失い、自分を大切にできない時に出てきてしまう言葉だ。
しかし彼女たちは違う道を辿る。一人は(無自覚に詐欺に遭いながらも)生きる活力を戻し、一人は自殺する。人より回り道をして今は生きづらくても、死んじゃったら終わりだよ。七海のように軸がなくて、他者に翻弄されて、堕ちていっているように見えるひとでも、生きていれば希望が見えてくるのだと私は解釈した。
不思議な空気感の映画だったけれど、3時間がとても濃かった。