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凱里ブルースのmstashdのレビュー・感想・評価

凱里ブルース(2015年製作の映画)
3.6
過去も未来も現在すらも、その心の流れは捉えられない。般若心経の一節から始まるこの作品には、現実と虚構が入り混じるような捉えどころのない時が流れる。ビー・ガン監督の次作『ロングデイズ・ジャーニー』を昨年に見たが、現実と虚構のハイブリッド感は同じだ。
中国の中山間部の村でのシーンは揺れる手持ちカメラの長回し。
通常映画的視点は、主人公の目線か、アノニマスな第三者的な目線で描かれるが、この長回しは、撮影者の主観的存在としての他者の目線として撮られている。「撮っている」という描かれる世界への介入である。であれば、この長回しの意図は何なんであろうか。

タルコフスキーの長回しは虚無の時間の表現、つまり語り、描くことによって失うものを表現する時間の表現であった。
アンゲロプロスの長回しは、断片化する映画的時間への抵抗である。

この長回しは、時間が捉えられないのであれば、時間を切断し、切り貼りすることで、物語を語ろうとすることを作品から排除し、ただカメラを回し続ける諦念のようなものなのかもしれない。

たしかに心も時間も捉えられない。
しかし捉えられないからこそ、諦めず、時間に挑み続けることこそが、人の情念なのではないかと思う。
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