140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ジュラシック・ワールド 炎の王国の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

4.2
【王国の崩壊】

まず謝罪から。
「ロストワールド」の焼き増しと鑑賞前は口にしてしまって本当に申し訳ない。恐竜たちの眼前で鼻水垂れながら許しを乞いたい。物凄いものを見てしまったという気持ちになり、そしてそれは平成元年産まれの私、そして同世代の古い映画の劇場鑑賞の記憶に触れるようなラストだと感じて、打ち震えてしまった。

邦題を「炎の王国」としたのは本当にナンセンスで、火山噴火のスペクタクル映画に成り下がったような誤解を招くと思う。

しかし初期の「ジュラシックパーク」にある理不尽というか自然の脅威としての恐竜の存在美とホラー映画のような悪趣味な演出の数々に久々に肝を冷やした。それが冒頭の嵐の中、海中の影、稲光に一瞬照らされる造形と見事に詰め込まれ、不条理ギャグのような落とし所にしてやられた。

本作のバヨナ監督のフィルモグラフィーから察するホラーテイストはスピルバーグ時代の「ジュラシックパーク」の悪趣味な恐竜の恐ろしさと呼応しており、前半と後半での開放と閉塞のアクセントから、人類の科学が道を踏み外す危うさや、大自然の前での脆さを真面目に捉えながら明らかなギャグの投入も見ごたえがある。

前半の開放性は、IMAXスクリーンに映えるセスナと火山噴火する島の圧倒的存在感の演出に大いに機能しているし、滅び行く島の恐竜の物悲しさと相対するようにクリス・プラットの麻酔薬を撃たれてからのコミカルな脱出劇の間抜けさにしてやられた。
→あんなの「ウルフオブ~」のディカプリオがランボルギーニ乗り込むシーン以来やん…  

後半は人類の過ちをホラー調に。ここでの影の演出のダークファンタジー感と明らかな虚構性、洋館をステージとしたゴシックホラー×恐竜モノのハイブリット演出に肝を冷やしまくり。前回のインドミナスレックスからインドラプトルのスケールダウンは否めないが、ゴシックホラーと悪魔のような前足のカギ爪の造形は素晴らしかった。

ラストに向けた明かされるある事実は無理やり捩じ込んだように思えたが、上記にも上げた私もしくは平成初期産まれの古い映画の記憶とリンクして、王国の崩壊へと雪崩れ込む展開、そしてその顛末を表す夢の(悪夢の)共演感も相まって、ブレーキの壊れた人類の進歩が新たな種の進化のアクセルとなるであろう文字通りオープンワールドとなった本作のタイトルの意味を知ることとなる。