えんさん

エミアビのはじまりとはじまりのえんさんのレビュー・感想・評価

4.0
人気が上がり始めていた若手漫才コンビ『エミアビ』の海野が事故死する。実感がない相方の実道は、海野と共に亡くなった雛子の兄でお笑い界の先輩だった黒沢に会いに行き、弔いを兼ね、乞われるままネタを披露する。十年来のコンビを失っても、実感の沸かない実道。過去のある事件をキッカケに、お笑いを封印していた黒沢。お互いポッカリと空いた心の穴を埋めるべく、2人はコンビを結成することになっていくのだが。。「舟を編む」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞に輝いた渡辺謙作が、オリジナル脚本を自ら映画化した作品。

学校時代でも、働き始めてもそうですが、同じクラスや部活の中で、もしくは同じ職場や仕事を一緒にさせてもらっている仲間の中でも、何か悔しいくらい才能に満ちあふれている奴って、会ったことはないでしょうか?  僕のように才能に恵まれていない凡才にとっては、そういう奴の姿を見ると、天才ってこういう人のことを言うのだなと思わされたし、同時に悔しいのは、そうした天才たちも楽しく事に当たっているだけでなく、自らに決して納得することなく、常に上を上を目指そうと、それも自然にやっていること。こういう人こそ、そのことをすべきで、何にも憧れしか持てない凡才にとっては、せいぜいそいつの揚げ足なり、批評をするくらいしかできない。どの分野でも、どんなところにでも、そういう人っているのだなーと思ったりしています。

こういう話を持ち出したもの、本作のお話の構図が、まさにお笑いの天才である海野と、海野の存在によって、持ち上げられた凡才の実道という構図があるからです。事故によって亡くなる海野はお笑いの天才。見た目はパッと冴えないものの、何が面白くて楽しいのか、本人も自覚していない中でも自らの生活自身も笑いに満ちている。対して、実道はそんな状況をうっすら理解しつつも、海野のおかげで人気が出始めた”エミアビ”という名を守ろうとする。もちろん、実道もお笑いの術は知っているものの、先輩芸人・黒沢の前で見せるのは、黒沢に論破されるような凡庸な芸ばかり。海野のおかげの、”エミアビ”をどうすべきか苦悩する中、彼が本当にしたかったものを発見し、それに猛進していくまでを本作は描いているのです。

”エミアビ”を代表する海野がいない状況で始まる物語の手法は、重要なキーマンを登場させない「桐島、部活やめるってよ」と同じかと思いましたが、序盤から回想で海野が亡くなる前夜での物語を同時並行させていきます。この前夜のエピソードを見るだけで、海野というのがどれだけ天才か分かるし、”エミアビ”のおっかけをし、海野が惹かれる雛子も一流の目利きであったことが分かるのです。こうした回想部分のプロの2人に対し、死後に残された実道と黒沢の生きっぷりというのが、まさに実用的というか、リアルスティックというか、才能どうのこうのというより、自分たちが本当にしたいことに思いっきりぶつかっていくという姿勢が実に気持ちいい。才能があるもの=短命、才能がないもの=取り残されるという構図だけには収まらず、どこかファンタジーな回想と、リアルな現実の物語という対立軸もうまくあぶり出され、”お笑い”という同じ方向であっても、それぞれ違う道で必死に生きる(海野にとっては、生きた)道が明確になっていくのです。海野を演じた前野朋哉、実道を演じた森岡龍という2人の若手俳優にも今後が期待できる良作になっていると思います。