れもん

映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生のれもんのレビュー・感想・評価

5.0
2016年公開の『ドラえもん』の映画シリーズ36作目(「第2期」11作目)で、10作目『のび太の日本誕生』のリメイク作品である。

素晴らしかった。
もしかしたらシリーズ最高傑作かもしれない。

同じく八鍬新之介監督が手がけた34作目『新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜』も良質なリメイク作品だったけど、今作はそれを上回るクオリティで、観ていて感動というより驚嘆してしまった。

八鍬新之介監督の基本姿勢、すなわち余計なオリジナルキャラクターは追加せずリメイク元に登場するキャラクターを深く掘り下げようとする姿勢は、34作目の時点で顕著だった。
その姿勢は、31作目『新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』で追加されたオリジナルキャラクター・ピッポを一種の「メアリー・スー」だと考えるような層を中心におおむね支持されていたように思う。

しかし、その姿勢に由来してか34作目がリメイク元のストーリーをほぼそのままなぞった作品になっていたことについては、賛否両論が見受けられていた。
リメイクするならば時代に合わない設定や違和感のある展開は改善すべきという否定派の意見を参考にした結果なのだろうか、今作では大胆なブラッシュアップが多く見受けられた。

まず、10作目では物語が始まるきっかけに過ぎなかったのび太、しずか、スネ夫、ジャイアンの家出とその原因をラストシーンやエンディングにも絡めたり、10作目では移動手段以外の役割があまり無かったペガ、グリ、ドラコに個性を与え更にのび太との交流シーンを増やしたことで、物語全体に「のび太たちの母親⇔のび太たち」の親子関係と「のび太⇔ペガたち」の擬似的な親子関係という軸を通すことに成功していた。

そして、10作目からの一番大きな変化は、のび太を救出したりギガゾンビと決着をつけるのがタイムパトロールではなくなっていることだろう。
10作目では、タイムパトロールの登場があまりに御都合主義だったうえに、主人公のドラえもんたちがラスボスのギガゾンビを倒さないまま終わってしまうためカタルシスが無かった。
今作では、ククルの犬笛という小道具を上手く使いのび太とペガたちの絆をより丁寧に表現したうえで、ドラえもんたちとゲストキャラクター・ククルがそれぞれ活躍してギガゾンビを倒すためクライマックスの盛り上がり方が段違いだった。
ドンブラ粉の伏線回収や、原始時代の道具が23世紀の道具に勝つ意外性も良い。
また、途中でツチダマの材質をドラミに調べさせることで、タイムパトロール登場の唐突感も薄れていた。

ちなみに、大塚芳忠の声のおかげもあってギガゾンビは今作のほうが怖かったと思う。
ツチダマは10作目のほうが怖かったが。

欲を言えば、タイムマシンで家出した直後に戻る発想はあるのにヒカリ族が連れ去られる前に戻る発想は無いのか?など細かいツッコミどころにも対応してほしかったが、そういうことを言い出すと『ドラえもん』が成り立たなくなるのかもしれない。
そもそも、未来を変えるためにのび太の元へ派遣されたドラえもんも軽い時間犯罪者のような気もするし。

ただ、ジャイアンが母親から暴力を振るわれる描写はそろそろどうにかならないだろうか。
物語の展開上どうしても必要な描写であれば仕方ないが、そうでないなら子供が暴力を振るわれるのが日常化しているような描写は避けてほしいと思う。
あの『クレヨンしんちゃん』ですら、このあたりのコンプライアンス意識はもう少し高い。

また、のび太がタイムパトロールにペガたちそれぞれの個性を伝えて別れるシーンは『八日目の蟬』の「その子はまだごはんを食べていません」のシーンのようで印象的だったものの、のび太以外のキャラクターたちまでもが泣いている演出で気持ちがスッと冷めてしまうのを感じた。
10作目では、ペガたちと別れるシーンで泣いているのはのび太だけだったし、のび太も号泣というほどではなかった。
どうも「第2期」の作品はこういう大袈裟な演出が鼻について肌に合わないところがある。

でも、「第2期」の洗練された作画とキャラデザのおかげでククルが可愛くなっていたから、良し悪しかな。笑
描線が均一な線から強弱のある線に戻っていたのも良かった。

【2022.08.25.鑑賞】
【2022.08.26.レビュー編集】
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