武倉悠樹

ダンガル きっと、つよくなるの武倉悠樹のレビュー・感想・評価

3.0
 すっごい普通のスポ魂もの。ダンスも無くなり、尺も普通に2時間ちょいになり、どんどんユニバーサルになっていくにつれ、角も取れ普通の感動ものになった。つまらなくはないけど、わざわざ見る程でもない映画になったとも言える。

 インド特有の何かと言えば、冒頭でアニマルウェルフェアに配慮したと思いきや、女性や子供の人権には(あくまで西洋的な価値観から言えば、と言う留保は付くが)無頓着な点だろうか。カースト制も地域によっては色濃く残っているのだろうし、実際のインドの男尊女卑の実態に比べれば、それを問う社会派として、彼の国では機能しうるのかもしれないが、「地上の星たち」「きっとうまくいく」「PK」程にそのメッセージの普遍性は高くない。

 直前に「セッション」を見た事もあり、娘へスパルタ教育を施す前半は嫌悪感の方が先に立った。
 大前提として「子供は親の物ではない」と言う価値観が自分の中に強くあるせいかもしれないが、子供に自分の夢を仮託する親なんてろくでもないと感じる。
 「うちの父は娘になんの愛情も無く、嫁に出されて終わり」と嘆く同年代の女の子によって、あのスパルタは正当化されるが、本当にそうだろうか。結局自由意思は認められていないことに変わりはないし、そもそも、自分の目的を叶えるためのツールとしての思い入れを本当に「愛」と呼べるのだろうか。

 インド社会の現状なりに、女性の社会進出や権利と言うメッセージ性に重きを置いたと言うのものどうだろうか。
 女性のレスリングについて序盤はかなり稀有な物として描かれているが、ジュニアの大会に出るとなると、普通に同年代でレスリングをやっている女性はたくさん出てくるし、国内のトップクラスになれば、普通に強化指定選手の様な扱いで衣食住保障されて、高度なトレーニングを受けられる環境がある。国費で海外の遠征にも行けてる様だし、経済発展を遂げ様々な分野で国際的なプレゼンスを発揮したい新興国にありがちとも言えるが、よほど日本のマイナースポーツのオリンピック出場クラスの選手の方が、手弁当の辛い環境にあるんではなかろうか。
 この辺は、単に男女格差と言うよりインド社会における、地域格差、階級格差の問題な匂いがして、この作品単体では細かいところまではわからない。ギータの活躍が、「女性が」と言うより、「地方の庶民階級の女性が」と言う風に本国では受容されて居たのではないかと言う気もする。

 最後、決勝戦になり、親父がいきなり「お前はすべての虐げられている女性の為に戦っているんだ」とか言い出すのも、いや、お前の為に戦わされてきたんだろうと言う気持ちにさせられる。今までそんなモチベーションでやらせてこなかっただろうに。
 女だからレスリングなんてやるな、と言う抑圧からは確かに解放されるべきだが、その壁にぶつかったのは、娘二人ではなく、自分の子どもをレスリングの金メダリストにしたい父親であり、その壁を超えるために、父から娘への絶対的な強権を発動すると言う別の抑圧を用いるのは悪手だろう。

 NSAのコーチをわざとらしい悪役に仕立て、数十年前にトップ選手だったとはいえ、それもドメスティックな話で国際経験も無い、彼の指導方法やレスリング観が徹頭徹尾正しかったと言う展開も、結局父権性の絶対化の象徴の様に思える。

 ベースが実話に在り「ギータ」と「バビータ」と言う選手が偉大な活躍をしたのは否定すべくもないし、彼女らが父親を誇りに思っている以上、何も言えなくなってしまうの気もするのだが、それはそれで生存者バイアスによって、あの接し方を肯定するようで、それは第二のサッチモを生み出す為と強弁したフレッチャーを許すのと同義だ。
 
 脚本を選んで出演すると言うアミール・カーンだからこそ、出演作には一定のクオリティが担保されていたと感じたけど、率直にこれは外れ。

 これの評価が軒並み高いと言うのも、なんかなぁと思わせる一因。終わりよければすべて良しで、スパルタ教育も美談として消費されてくこの国からパワハラが無くなるなんてとか考える。
武倉悠樹

武倉悠樹