まる実

何者のまる実のネタバレレビュー・内容・結末

何者(2016年製作の映画)
2.6

このレビューはネタバレを含みます

痛くて、痒くて、なにがそんなにいたたまれないのかと思ったら自分の毛嫌いする自分がそこにいた。

浅井リョウが早稲田出身ということもあって、学部とか、そのラベルがもつ意味だとかはなんとなくわかる。彼の周りにあまり存在しないのか、理系の先輩のスマートさはそんなんいないよ笑と思ったりもしたが、国教、社学、文講などなど、ああわかる、わかるぞといった感じで、もはや内輪の学芸会を見ているような気になった。

就活。内定。人脈。インターン。OB訪問。大学に入って、そんな言葉が嫌でも周りをちらつく。自分が何をしたいのか、牽いては「何者なのか」を模索し、「何者かにならなければいけない」焦りに常に駆られている。一歩リードする意識の高い自分であったり、センシティブでクリエイティブな自分であったり、常にドラマを抱えている主人公な自分であったり、そんな周りからは一線を画したオブザーバーな自分であったり、どういう形であれ、きっと多くの人が周りとは違う自分であると信じて立っている。そんな痛い現実を突きつけられた。

昔、桐島を見たときにはつまらないと思ってしまった。何者を見たのがこの時期でよかった。高校生にはわからない、SNSのネイティブでない世代にはもっとわからない、現代の大学生だからこそこんなにぐさぐさ刺さったのだと思う。

日常がどんどんと劇になっていく。すべての人が演者で、語り手で、世界はセットのうに用意された空間で、怒濤のようになんでもなかった世界が回転していくあの恐ろしさ。枕詞のように発せられる「Twitterで見たんだけど、」。さらっと事も無げに言われる「検索すれば出るよ」。裏アカ。表アカ。鍵。ツイ消し。痛い。怖い。自分だ。あの人だ。迫る恐怖に耐えきれず、一瞬ふっと目をそらした。

何者になろうともがく痛々しさを、わかった上で必死にもがくしかない。

観察者になってはいけない。

自分の人生は痛々しい主人公として生きなければいけない。

その事を、強く思い知らされた。
まる実

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