ナガエ

海よりもまだ深くのナガエのレビュー・感想・評価

海よりもまだ深く(2016年製作の映画)
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昨日久々に、弟と電話をした。
基本的に僕から連絡することはない。弟の方から時々、近況を尋ねるようにして連絡が来る。
お互いの近況をひとしきり話すと、大体親の話になる。
詳しくは書かないが、僕は親とは色々あって、比較的今でも苦手意識がある。昔に比べれば、大分変わったと思うけども。

弟からよく、「親に連絡してやれ。喜ぶから」と言われる。
こういうことを言うような奴になったんだなぁ、と僕はいつも感じる。

兄弟三人の中で、子供の頃、一番親に迷惑を掛けたのが弟だろう。割と、どうしようもない奴だったと思う。反対に僕は、外面だけはとても良い子だった。割と、模範的な優等生に近いタイプに見えていただろうな、と思う。

今では、弟は結婚し子供をもうけ、実家の近くに家を建てた。兄弟三人で一番の孝行者だろう。僕はと言えば、だらだらと生きている。今となっては一番親に迷惑を掛けていると言えるかもしれない。

だから、弟に親のことを突っ込まれると、僕は何も言い返せなくなる。別に責めるような口調で言われるわけでもないのだけど、僕の歯切れは一気に悪くなる。

普段は、そういうやり取りをして終わるのだけど、昨日は少し違った。弟から初めて、こんな話を聞いた。

「それまで親のことは嫌いだったけど、自分が親になってみて初めて、育ててもらったっていう感謝が生まれた」
「親はいつか死ぬんだし、生きてる間に何かしないと後悔すると思ったから変わったんだ」

ほぉ、と思った。そんな殊勝なことを考えているとはなぁ。

「だから生きてる内になんかしとけよ」

まあ、そんな風に言われるわけだ。

『いなくなってからいくら想ったって駄目よ。目の前にいる時にきちんとアレしないと』

樹木希林も、そんな風に言っていた。

家族、というものが僕にはイマイチよくわからない。家族というものに憧れを持ったこともなければ、良いなと感じることもない。めんどくさいな、と感じる対象でしかない。

今でも親のことは苦手だけど、その苦手は、昔とは結構変わった。今では、親に対する苦手は、他のほとんどすべての他人に対する苦手とほぼ同じだ。昔は、自分の親だから特別に苦手なんだと思っていた。でも今では、僕は基本的に他人というものが全般的に苦手なんだな、という風に感じている。

ただ僕は、求められたように、あるいは、こんな風に求められているのだろうなと勝手に感じたように振る舞う能力がとても高い。自分の意志ではなく、他人の意志で動くのが得意だし、楽だなと感じる。ただ、ずっとその他人の意志の中に押し込められるのは嫌だな、と思う。自分で書いてても、めんどくさい性格だなと思う。

そういう意味で、親と関わるのは嫌だな、と感じる部分がある。

今僕が親に対して何かアクションを起こすとすれば、それは、「こうすれば親が喜ぶんだろうな」という考えからでしかない。まあ、普通そういうものなのかもしれないけど。で、そういう自分に、自分自身を押し込めたくないな、と思う。一旦そういう風に振る舞い始めれば、そういう自分から抜け出すのは難しくなる。それはこれまでの色んな経験から分かっている。僕にとって一歩踏み出すことは、後戻り出来ない可能性を常に孕んでいる。それが、めんどくさいなぁ、と思うのだ。

うん、まあ、こういうのは、ただの言い訳だ。実際は、ただめんどくさいだけだ。

『誰かの過去になる勇気を持つのが、大人の男ってもんだよ』

僕は、いつでも誰かの過去になる準備がある。だから周りも、そんな風に扱ってくれたらいいのにな、と思う。


良多(阿部寛)は15年前に文学賞を取ったきりの自称小説家。今は探偵事務所に務めているが、それも「小説の取材だ」と周囲に言い訳している。小説を書いているわけでもないのに、作家である自分のアイデンティティを捨てきれないでいる。
小説を書くでもなく、ギャンブルに金を注ぎ込む良多に愛想をつかして離婚した元妻・響子(真木よう子)は、今では一人息子である真悟と二人暮らし。響子には新しく男が出来つつあり、未だに響子に未練がある良多は、探偵であることを活かして響子の行動を常に監視している。
月に一度、真悟と会えることになっているが、養育費をまともに払わない良多に響子はうんざりしている。良多は良多で、真悟にグローブやスパイクを買ってやりたいが、金の工面に四苦八苦している。母である淑子(樹木希林)の元に時折顔を出しては、金目のものを物色するがなかなか見つからない。それでいて、淑子には心配を掛けまいとお小遣いを渡したりする。そのくせ、姉の千奈津(小林聡美)の元に金の無心にやってきては呆れられている。
月に一度真悟に会える日。日本に巨大な台風がやってくる予報だった。真悟を母の元へと連れてきた良多は、迎えにやってきた響子も含め、久々に一晩一緒に過ごすことになり…。

というような話です。
凄く好きな映画でした。あんまり日本の映画を見る気になれないんだけど、これは見て良かったな、と。

とにかく、映画全体の雰囲気が好きです。

『50年も一緒にあれしたんだからさぁ』
『グローブでもあれしてやろうかと思って』
『女が仕事を持つとかえってあれだね』
『ほら、宇宙飛行士のなんちゃらさんとかにしなさいよー』

家族の会話は、基本的にこんな感じで展開される。「あれ」だの「なんちゃら」だのと、はっきり言わない。言わなくても相手に通じることがちゃんと分かっている。家族だという関係性を、こういう会話のやり取りで実にうまく切り取っていく。

特に樹木希林は絶妙だ。あぁ母親ってこういう感じだよなぁ、という雰囲気をとてもよく滲ませる。一人一人母親像は違っても、この映画の中の樹木希林を見ると、母親ってこういう生き物だよなぁ、と多くの人が感じるだろう。そういう絶妙な演技をする。

この会話の切替で、主人公である良多の見え方が変わっていくのも面白い。
母親である樹木希林と話す時、元妻である真木よう子と話す時、息子と話す時、探偵事務所の所長や後輩と話す時などで、良多は様々な顔を見せる。見栄っ張りだったり、かっこつけたがったり、女々しかったり、威張りたかったり、セコかったり。良多という人間の良い部分も悪い部分も様々な関係性の中で滲み出ていて、それが会話によって引き出されているという点が非常に面白い。

この映画の中で会話というのは、物語を展開させる装置ではない。物語は、会話ではほとんど展開しない。会話は、テーブルや自転車といった、背景を構成する小道具みたいな扱われ方をしている。だから、会話の中身にはほとんど意味がなくて、その会話を誰がしているのか、どんなトーンでしているのかという、小道具としての側面が強く映画全体の中で意味を持つ、という形式が非常に面白いと思う。

『「僕のはヤキモチじゃありませんよ」
「じゃあ何なんですか?」
「責任感ですよ」
「未練でしょ」』

『「別れたんだからさぁ」
「でも、終わってないだろ」』

良多にとって、息子の真悟に会うことが人生の大きな目的となっていて、そのためには何でもするつもりでいる。そして、あわよくば響子とまたやり直したいと思っている。その気持ちが、良多を支えていると言えるだろう。
しかしだからこそ、響子から突きつけられるこの言葉がずしりと重い。

『月に1度の父親ごっこで、よくそんなこと言うわね。そんなに一生懸命父親やろうとするなら、なんで一緒にいる時もう少しさぁ』

母親には、こんな風に言われるのだ。

『なんで男は今を愛せないのかねぇ』

僕は、演技を云々言えるほど詳しくないけど、この映画の俳優の演技はみんな好きだった。肩の力が抜けているというか、腹から声が出ていないというか。そういう、日常のどこかにいるだろうこういう人、という「普通感」が最初から最後まで滲み出ていて凄く良かった。

その中でも、真木よう子は良かったなぁ。
この映画の中で真木よう子が醸し出す独特な雰囲気は、とても素敵だと思う。
うまく説明できないのだけど、打算的に生きたいし生きるべきだと思うけど、そうではない生き方を否定しきれない部分がある、というような複雑な感じをうまく出しているように思う。

響子は基本的に、シングルマザーとしてきっちりしたいと思っている。仕事もちゃんとするし、子供も真っ当に育てたい。それに、養育費を払いもしないくせに、約束だからという律儀さで息子を良多に会わせる。年収1500万円だという新しい彼氏の存在は、『愛だけじゃ生きていけないから』と良多に言った通り、打算的に生きようという意志の表れだろう。

しかし響子は、それだけの女ではない。そうでなければ、そもそも良多と結婚したりしなかっただろう。良多との離婚があったからこそ、打算的になろうという意識が芽生えたのかもしれない、とさえ思う。

だから映画の中で描かれる響子の姿は、ほとんどが「響子らしくない」のではないか、と僕は勝手に感じた。

そして、「本来の響子らしさ」みたいなものが、良多といる時に時々現れるのではないか、と思う。基本的に響子は、良多に対して冷たい態度を取ろうとする。それは、返事はそっけなく、感情を込めないように話そうとする。確かに良多に苛立ちを感じている部分はあるだろう。しかしそれ以上に、良多の存在が昔の自分を引きずりだしてくるのを恐れて、敢えて冷たくしているのではないか、とも感じた。

それを一番強く感じたのは、台風の真夜中、公園の滑り台でのシーンだ。それまでの響子の描かれ方であれば、ここは良多に対して怒る場面だと思う。しかし響子はそうしない。どの程度なのかは分からないけど、基本的に響子は良多のことを悪く思えないのではないか。僕にはそう感じられた。

僕の見方が芯を捉えているかどうかはともかくとして、真木よう子の演技は、響子という役が持つ不安定で複雑なあり方を実にうまく描き出しているように思う。響子も、誰と話しているかによって顔が変わり、そして、そのどれもが本当の姿ではないような不思議な雰囲気を醸し出す。

『もう決めたんだから。前に進ませてよ』

こういうセリフを、力を込めずにポロッと言う。響子という不可思議な魅力を持つ役を、見事に演じきったなと感じた。

池松壮亮が演じていた、探偵事務所の後輩である町田も実に良かった。こちらは響子違って、良多と何かと関わり合いを持つ。町田は良多に何か恩があるようなことを言っていたけど、基本的に良多のような人間が好きなのだろう。嫌々ながらも競輪に掛けるお金を貸してあげたり、響子の彼氏の見張りに付き合ったりしている。良多と町田が勤める探偵事務所は、ちょっとアコギな商売をしてるんだけど(その所長であるリリー・フランキーがまたいい味を出すんだなぁ)、崩れていそうでギリギリ崩れていない、みたいな絶妙な立ち位置を上手く演じていたと思う。良多とのコンビネーションがばっちりだったなぁ。魅力的なキャラクターだったなと思います。

『そんなに簡単になりたい大人になれると思ったら大間違いだぞ』

『本当にそう。こんなはずじゃなかった』

僕は、過去の自分の行動や選択を後悔したことがない。こうすれば良かった、ああすれば良かった、と思うことがない。普通そんなことはありえないと思う。僕は、未来に期待しないようにしているから、そんな風にいられるのだ。昔から、大人になってなりたいものもなかったし(そもそも大人になりたくなかったけど)、夢や目標みたいなものもなかった。

『海よりも深い恋なんてさぁ、あたしはこれまで経験したことがなかったけど。それでも、毎日楽しく生きてるんだよ。ううん、だからこそ、楽しく生きられるのかもしれないねぇ』

それとは別の考え方で、「思い通りなんて面白くないな」とも思っている。自分が予期しないように物事が進んでいく方が面白い。思い通りの人生を歩んでいる人って、本当に幸せなのかなって、時々そんなことを思うことがある。

『幸せってのはね、何かを諦めないと手に出来ないものなのよ』

ですって。
ナガエ

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