純

ダンケルクの純のレビュー・感想・評価

ダンケルク(2017年製作の映画)
4.4
何か見えても、何も見えなくても恐ろしい。何か聞こえても、何も聞こえなくても震えてしまう。動いても、留まっていても、命が脅かされる。ドイツに攻められて逃げ場のない英仏軍の、絶望、恐怖、孤独、混乱が、全てのシーンでまざまざと描かれる。きっと彼らは、生き延びるためではなく、「今」死なないために生きていた。ある瞬間を生き延びることで、死から遠ざかろうとした。必死に逃げて、もがいて、あがいて、ほんの少し延長された猶予期間は、いつか一瞬で残酷に終わりを告げることを知っていながらも。

今作は、ドイツに包囲された英仏軍のダンケルクからの脱出を陸、海、空の三部構成で描いていて、複数の視点からひとつの出来事を映すことで、ある章では見えなかったことが別の章で明らかになる構成が、とてもノーラン監督らしい。CGなしの撮影で40万人の兵士たちがいた戦争にしては小規模に見えるけど、そんなのは気にならないくらいにカメラワークや映像にこだわりが感じられるし、相変わらず音響効果が抜群だった。視覚的にも聴覚的にも静と動のコントラストが際立っていて、時にそれは美しささえ醸し出す。それでも、この映画を観ていて心休まるときなんてまるでない。いつまでもどこまでも、不安と恐怖、緊張感がつきまとう。特にあの時計音がそれらの感情、感覚を掻き立てるから、本当にたまらなく怖かった。

血が苦手で戦争映画は本当に観るのを渋るタイプなんだけど、この映画は「撤退」を描いた作品だから、空の章を除いては皆ほぼ丸腰で、逃げるか隠れるか祈るかしかできることがない。いるのかも分からない神に祈って頭を伏せ、仲間を平気で裏切り、かと言って十分に庇うこともできない兵士たちの切羽詰まった様子が、数少ない台詞と多くを語る表情で描かれていて、胸に迫るものがあった。ただ生きて帰りたいだけなのに、思いも目的も同じなのに、こうして人は傷つけ合い、攻撃し合い、ぼろぼろになっていったのかな。連合軍なんて形だけ。いざとなったら躊躇なく仲間を犠牲にすることだって、この状況下じゃ「仕方ない」なんだ。「間違ったこと」だと分かっていても、「仕方ない」と片付けてしまわないと、きっと皆壊れてしまうから。すでに不安や恐怖、絶望に侵略されているのに、罪悪感まで背負っていたら、もう身が持たなくなってしまうから。

イギリス兵に紛れて逃げようとしたフランス人のことを思うと、今でも胸が痛む。彼は何を言われてもされても抵抗せずに、ずっと舟の穴を塞いでいた。その前にだって、口は開かずとも、冷静な判断と行動力でたくさんのイギリス兵を救ってきた。たくさんの命を繋ぎとめてきた彼の手が水中に漂うあのシーンが、本当に痛く辛い。このフランス人の他にも、同じように誰かのためになってきたにもかかわらず悲しい結末を迎えたひとたちが何人もいる。ほんの少しの判断の遅れが、気の迷いが、そして不運が、かけがえのないたったひとりの誰かを殺していった。

誰かを特定しないことが、こんなに悲しいことなのかとも思った。救出に向かう民間船に乗り合わせることにしたジョージ、そして空軍のコリンズ以外、まともに名前を呼ばれた人はいない。それでもエンドロールでは、ちゃんとそれぞれのキャストが演じた役に名前が付いていた。この映画は、三つの章で複数人をピックアップして物語を進めているとはいえ、あくまで大多数のひとり、不特定多数のひとりとして、兵士を見ている。そういう存在以上の人として、扱われていない。だから生き延びた兵士の顔も見ずに配給がなされるし、兵士たちは人数でしか把握されない。別に誰だって何も変わらないから。よく他の戦争映画で描かれる「故郷で待つ家族」のシーンだってひとつもない。それは、この映画が「特定の背景を持ったトミー」の話ではなく、「40万人の1人にすぎない、名前も出す必要のない兵士A」を“たまたま”取り上げて語った話にすぎないから。

ジョージが新聞に出たシーンでは、きっと感動の涙を流す人が多かったと思う。でも、結局、こういうことなんだよな。救出した人たちだって本当に勇敢で素晴らしい。でも、あれだけ命からがら逃げのびたり、ほんの少しのところで命を落としたりしたひとたちは、何の形も残らない。彼らがどんなに親切でも、勇敢でも、お互い名前を呼び会うこともなければ、本人だけでなくその人柄や功績を知っている人さえもうこの世にはいないなんてことだって、当然なんだよ。そもそもジョージに関しても、亡くなった英雄なんて書き方で新聞に載ることを、私は良かったねなんて言いたくない。ちっとも美談だなんて思えない。最後の新聞記事だってそうだ。この作品に出てきた新聞こそ、この戦争で狂わせられた人々のどう考えたっておかしい考え方が表れている。諦めないことだって、強いことだって大切かもしれないけど、じゃあ生還した兵士に、自分たちはただ生き延びただけだって落ち込む兵士に、軽い気持ちで「それで十分だ」なんて言うな。ぼろぼろの兵士たちを一時的に鼓舞して、我々は降伏しないなんて言うなよ。勝利を諦めなかったから死んだ兵士たち、「もう死んだだろう」と諦めなければ助かったかもしれない兵士たちの顔ひとつ思い出せないくせに。知りもしないくせに。命を奪っているのは敵国かもしれなくても、兵士たちが殺されに行くよう仕向けてるのは、故郷から追い出してるのは、戦場に送ることだけが用途みたいな扱いをしてるのは、一体どこの誰なのか言ってみろよ。

次の戦争に向けて士気を高めるような記事に合わせて流れる賛美歌のようなBGMとは反して、主人公は笑顔を見せない。空の章で活躍したパイロットの最後がリンクする。こんなに痛い目にあったのに、あんなに酷い状況を見てきたのに、こんな記事、こんなお祝い、狂ってる。戦闘機の鳴る音が心地よいなんて、絶対に思うわけない。彼らは誰も、ダンケルクから脱出なんかできていないんだ。誰も救われない。そもそも誰か一人でも救われる人がいるなら、それは戦争という名を持つはずがないから。

上映時間の中だけでなく、余韻として、悪い予感として、戦争の絶望と狂気、恐怖を植え付けてくれる、ノーラン監督にしか作れない反戦映画だと思う。
純