“君の名は。”も良いが“聲の形”もなかなか。
タイプは違うが日本アニメの底力をみせつけたといったところだろうか。
両作とも少年期から青年期にかけての若者男女が主人公。
“聲の形”ではいじめっこ石田将也と聾唖の少女西宮硝子を中心にその仲間たちとの葛藤と陶冶が描かれる。
小学六年の石田将也は転校してきた西宮硝子をいじめ始める。
まわりを巻き込んでいじめはエスカレート。
補聴器を何台も失くし総額170万円にも達したことからストーリーは逆転。
みんなでいじめていたのに、全部将也のせいになり、今度は将也がいじめの対象となる。
いじめはどこにでもある。
人間の集団があれば学校でも会社でもあらゆる組織でいじめがあるといって過言ではない。
特に理由などなく、あえていえば弱い者いじめは人間のDNAに組み込まれていると言う他ない。
いじめられっ子だけを集めたクラスを作ればその中でいじめが発生する。
よく働くアリばかりを集めれば、その中で一定割合のさぼりアリが発生するのに似ている。
いじめをなくすのはムリなのである。
いじめっ子にも2種類ある。
矯正不能なワルと、本作の将也や仲間のような本格的なワルではないいじめっ子。
後者の場合は西宮硝子がとった対策が有効。
すなわち転校である。
転校せずに関係を変えるのは残念ながら難しい。
本作にも出てくるように教師の指導力が欠如しているのも原因。
これはあくまでも自分自身の経験でそう思うと語っているにすぎない。
それにしても、この作品の石田将也は独特である。
正直ここまで真面目な奴はなかなかいないと思う。
が、これは作者の人となりの反映なのであろう。
自分は身近に聾唖の知り合いはいなかったので本当のところはわからなくて当然。
アニメの硝子はかわいいので、かわいい子をついいじめてしまうという男子の心理はわかる(笑)
でも補聴器を取り上げて捨ててしまうのはいけない。
そしてそれを止める者が誰ひとりいないという・・・
いじめの実態をよく表している。
普通の子たちがふつうにやってしまうところにいじめの根の深さ難しさがある。
というわけで、多くの若い人にみて考えてもらい、出来れば皆に同調せずに行動する契機になれば良いなと思った。