岡田拓朗

映画 聲の形の岡田拓朗のレビュー・感想・評価

映画 聲の形(2016年製作の映画)
4.1
聲の形

君に生きるのを手伝って欲しい。

金曜ロードショーで2回目の鑑賞。
改めて観ると、この作品の物凄さがよりわかった気がする。
アニメーションだからこそ映し出せるものや幻想の使い方が本当に秀逸で、それぞれのシーンの強度が凄い!
痛々しくも、非常にエモーショナルで、ついつい目が離せなくなってしまう。

それでも彼ら彼女らのことを簡単に理解できるなんてこの作品は決して言わせない。
それだけ向き合い切ってる。

あらゆる人間模様と関係を築き上げていく上での並々ならぬ覚悟。
ここまで踏み込んでいくのかと。
それでやっと強固な関係が築き上げられていく土俵ができる。
でも逆に、他者との関係を築くときに、ここまでできてる人ってどれだけいるだろうか。
結構難しいことだなと思う。

犯してしまった誤ちに対して、まずはそれを誤ちだったと受け入れる。
ここが通過点として必要で、そこから更なる一歩を踏み込めるかどうか。
とても重たい一歩…でもその先に踏み込んだ人たちでしかわかち合えないものがある。
それは綺麗で美しいものばかりでなく、痛々しくて苦しいものの方がむしろ多い。

犯した罪と向き合って、嫌な自分と向き合って、かけがえのない相手と向き合って、できたらずっと関わりたくないような人とも向き合って、そして時には死にたいって気持ちにもなって、本当に自殺しそうにもなって…この人たちの気持ち全てを簡単に理解できたなんてことは言えない。
でも間違いなく心揺さぶられるものはあった。

西宮さんが転校して、それぞれが西宮さんと関わらずに生きることができたはずなのに、それをしなかった。
そこから彼ら彼女らの物語が始まる。
一側面から見ると偽善とか罪滅ぼしかもしれないけど、その一歩をどれだけ悩んで踏み込んだのかを考えるとその側面だけで片付けられないはず。

人は清らしい一面だけを持ってるわけではないから、何かしら誤ちを犯してしまうし、それに対して許して欲しいとかなかったことにしたいと思うはずで。
そこは闇雲に否定できない。
そして、まだ取り返しのつく誤ちであれば、向き合うことでお互いに生きるために、かけがえのない存在にまでにもなり得ることもあることを本作では証明してくれている。

「君に生きるのを手伝って欲しい」は、一人だと死を選んでいたかもしれない石田からの生きるためにあなたが必要だという告白であり、誰かに迷惑をかけることしかできないと殻にこもっていた西宮さんが誰かのためになれること、誰かとともに生きられることを認識できた希望を抱けるようになる言葉でもあった。
一度は死を夢見た2人が、生きる希望を2人で掴んだ瞬間だった。

そこに至るまでの演出の積み重ねが素晴らしいから、あのラストシーンで本当に感極まる!
やっぱり素晴らしい作品で、学校の道徳の授業とかでも扱われて欲しい作品だなと思った。

ただ、これはあくまでアニメであり、幻想だよなとも思わされる。
岡田拓朗

岡田拓朗