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映画 聲の形のchiakihayashiのレビュー・感想・評価

映画 聲の形(2016年製作の映画)
3.0
『シン・ゴジラ』よりも『君の名は。』の方がいい、というお勉強仲間の若い人たちがいて、『君の名は。』よりも『聲の形』の方がいい、と確かオークダーキ(元SEALDsの奥田愛基)くんがTweetしてた。前2作はともかく、監督が女性(山田尚子、1984年生まれ)だと知って見に行った。原作者(大今良時、1989年生まれ)も女性だったのね。

ボーイ・ミーツ・ガールのアニメかと想っていたら、あっと言う間にいじめへとなだれ込んでいくディスコミュニケーションを繊細に解きほぐそうとする物語だった(11月5日付けの朝日新聞で宇野常寛がピントがズレまくってるようなリクツをこね回していたけど−−−−「障害萌え」って何だよ?)。

純情無器用なヒーロー(こんなフツーにヘタレの主人公に〈ヒーロー〉という言葉は似つかわしくないかもしれないけれど、いや、決してマッチョにはならない彼こそ、新しいタイプのヒーローじゃないかな)の石田将也は、小6の時、転校してきた聴覚障害をもつ西宮硝子にいじめっ子そのものの振る舞いをしてしまい、今度は彼自身がいじめの対象になる。
好奇心いっぱい、後先考えずに冒険に飛び込むガキ大将だった彼が、5年後、高校生になったときはいつも俯いて、自分の存在をこの世から消そうと思い詰めるほどになっている。
そんな彼が再び硝子と出会い直して、5年越しの課題として抱えてきた謝罪を、トライ&エラーの連続ながらも成就させて、なんとかこのセカイと和解して自分自身であることができるようになるまでを、周囲のキャラたちとのディスコミュニケーション風コミュニケーションを交えて描く。

ヒロインよりも、描き分けられた他の女の子たちの個性の方が際立っていて、〈障害はひとつの個性〉と言い切れない部分が未消化のままに残ってしまうのは致し方ないかもしれないのだけれど。

そもそも、障害をもつ転校生を迎えた担任に配慮がなさ過ぎ−−−−と言いたくなるのだが、学校の先生になんてハナからなぁんの期待もしていない世代なのだった。また、石田家も西宮家も父不在。これにも全然納得で、それぞれに精一杯ハハをしている女たちだけで充分。

この背景は案外、象徴的か。いかなる〝父〟的権威も無いところで、〝女子ども〟たちは関係を築いていくことを懸命に試行錯誤しているのだ。

そして、ヒーローもヒロインも、ひょいと手すりを飛び越えて死へとジャンプしようとする。死のその〝軽さ〟にかろうじて支えられているらしい生と日常の〝重さ〟。それを切なく受けとめられるのは、たぶん、アニメだからこそ。
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