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映画 聲の形のnokinokiのネタバレレビュー・内容・結末

映画 聲の形(2016年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

群像もので上手いなぁと思う作品は、必ず社会の縮図かのように生きたキャラクターを作り出す。だから、聲の形に出てくる登場人物は皆私の知っている誰かに似てた。そして、見た人は皆そう感じると思う。

バッドレビューをつけてる人を見ると、むしろこの作品がどれだけ優れているかを確認できる。特にエンディングに問題があると感じてる人が多いみたいだけど。そこに私は味噌があると思う。から、多分京アニの伝えたかったことを捕捉できたら!と思い以下に書きます。

誰しもが人と関わって嫌な思いをしたことがあると思う。だから、嫌な思いや出来事を見ずに流すかのように皆と仲良くするなんて、綺麗事すぎるし、きっと、自分の中の嫌な経験を重ねるとなおさら許せない。特にいじめとか嫌がらせとか何かしらの立場で一回は経験したことが皆あれと思う。

エンディングは今時の百倍返し!とは正反対なキレイゴトっぽい感じだからでも、きっとこれは友を許そうとか、優しい人になることが美徳って言いたいの?って思う人が多いのだと思う。でも、この映画が伝えたいのはタイトル通り「聲の形」だということを今一度理解する必要がある。
私達は色々な人間と関わる。各々の価値観・性格・生きてる環境がある。この時点から、耳が聞こえない話せないに関わらず、同じ目線で話す・伝えることが極めて難しいというのは、映画の中では耳の聞こえない女子生徒だけじゃなくて、主人公やその他のクラスメイトたちも抱えている問題だった。特にこの映画で見てもわかるけど、家族ですら気づかなかったり、自殺未遂するまでどれだけ大切に思っているのか伝わってなかったりするのだから、声や文字、態度全てで表しても伝わらないことって沢山あるんだよね。それくらい自分の感情や思いを誰かに伝えて誰かに飲み込んでもらうのは大変。だから、この映画は自分の伝えたいことを伝えることが、いかに難しいか、いかに大切かを痛々しいほどを一番生身の傷つきやすい学生時代に焦点を当てている。だから、私たちも思い出してしまう。皮をかぶる前の自分たちを。伝えることを諦めて分厚い皮をかぶっていく前の私たちを。
もし、バッドレビューして、これに当てはまる人がこれを見たら、少しだけ目線を変えて欲しい!許すではなく、伝える!
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